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アングルの官能美

あなたは人目のお客様です。

私の知り合いでこのGW、パリに行った人間がいる。4月に家を訪れた際、ルーブル美術館の資料がたくさん置いてあった。これで予習してから鑑賞するという。ついでに、私も勉強してみた。画集には様々な展示物が載せられていたが、特に私の目を惹くものがあった。

グランド・オダリスク 油彩 91×162cm 1814年 ルーブル美術館蔵グランド・オダリスク

オダリスクとは、オスマン・トルコのハーレムにいた女奴隷の事。作品が大きい事からグランド(grand)とつけられた。女性が右手に持つ孔雀の羽扇や部屋の装飾は、細部まで克明に描かれている。滑らかな肌、やわらかな曲線、艶やかな肢体。官能的であり、神秘的でもある作品である。

絵の作者はジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(Jean Auguste Dominique Ingres:1780-1867)古典主義派(※1)最後の巨匠と言われる彼の、34歳の時の作品である。オダリスクを描いた理由は、当時流行していた東方趣味(※2)の影響による。しかし、この絵は発表された当時酷評された。その理由の1つはこの絵が持つ、不自然さにある。どこがおかしいか、おわかりだろうか?
最も目立つのは背中の長さである。通常より長い為当時「脊椎(せきつい)が3本多い」と言われた。次に首の角度である。人間はこれほど振り返るには無理がある。そしてひねった状態ならば、首と脇腹に必ずシワができる。それがこの絵にはない。右腕が長く、肘の角張った部分が全く見えない。腰に比べて尻と太腿が異様に太い。アングルの師であるジャック・ルイ・ダヴィッド(Jacques Louis David :1748-1825)の作品と比べると、違いがよくわかる。

レカミエ夫人 油彩 244×75cm 1800年 ルーブル美術館蔵レカミエ夫人

しかし、アングルは「デッサンの天才」と言われた男だった。その腕前は絵画史上においても屈指とされている。では彼はなぜ、不自然な肉体を描いたのだろうか。そこには、彼が求める美の哲学があった。

アングル24歳の時の自画像 コンデ美術館蔵
アングル自画像1780年南フランスにある小さな街、モントーバンに生まれたアングル。彼は幼い頃より、無名の画家(というか職人)だった父から英才教育を受けた。来る日も来る日も絵を描き続ける日々。幸い、彼には才能があった。めきめきと腕を上げたアングルは17歳の時にパリへと上り、ダヴィッドの門を叩く。時あたかもフランス革命前夜。師のダヴィッドはフランス革命に自ら飛び込んでいくほど政治に関心を持っていたが、勤勉なアングルは絵を描く事に集中した。

聖母の子(美しき女庭師) 油彩 122×80cm 1507年 ルーブル美術館蔵
聖母の子(美しき女庭師)1807年、27歳の時に国費でローマに留学する。当時の芸術家にとって、イタリアは憧れの地であった。そこで彼はルネサンス(※3)芸術に接して、大きな衝撃を受ける。数々の作品を模写する中で、最も気に入ったのは聖母画家と称されたラファエロ・サンティ(Raffaello Santi:1483-1520)である。ラファエロの最も有名な作品は左の絵である。ラファエロについてアングルは、「最も偉大な画家であり、神のごとき完全な存在である」と評した。

やがて彼は、自分が本当に描きたいものに気づきはじめる。彼は絵画について、これらの言葉を残している。
  ・自分は模倣に徹しながら、独創的である事ができる
  ・美しい形とは、丸みを帯びた簡潔な形である
  ・美しい体を描くためには、誇張も許される

新古典主義の画家は、ルネサンスが追求した解剖学的に正確な肉体を描く事=理想と捉えていた。しかしアングルは自らの理想美を描く為にはデフォルメ(対象や素材の自然な形態を意識的・無意識的に変形すること)が必要だと考えたのである。グランド・オダリスクが持つ不自然さの理由は、ここにある。

彼は17年間をイタリアで過ごし、描いた作品をパリに送った。しかし評判は散々だった。理由の1つは、前述した不自然さ。また当時のフランス絵画界では、品格のある歴史的主題が良いとされていた。女性の裸体については、男性を堕落させるという認識で一致。女性の裸に美を求め、しかもあえて歪んだ表現をするアングルは、異端だったのである。彼は認められないまま、ローマで生活を送る。

転機が訪れたのは1824年、44歳の時。フランスではナポレオン1世が失脚した後にダヴィッドはブリュッセルに亡命、古典主義派は低迷していた。その新しいリーダーにアングルが指名されたのである。幸い国王シャルル10世が復古主義を打ち出していた為、古典主義は目をかけられた。53歳の時に国立美術学校の校長に選ばれ、以降フランス絵画界の重鎮となった。

彼が女性の裸以外にこだわったもの、それはバイオリンであった。もともと父から教わったものだったが、10代の頃は絵を描く他にオーケストラで小遣い稼ぎをしていたほど、優れた腕前だった。その後も自宅でよく演奏をしていたという。今でもフランス語には「アングルのバイオリン」という慣用句がある。意味は「芸術家の余技、玄人はだし」。

絵画とバイオリンを愛したアングルは、1867年に肺炎で亡くなった。享年87歳。彼の作品が近代絵画に与えた影響は大きい。画家でいうと印象派のドガ、ルノワール、セザンヌ。20世紀ではマティス、ピカソらが挙げられる。

※1 古典主義(classicism)
17~18世紀におけるヨーロッパ芸術の支配的思潮。古代のギリシア・ローマの芸術を規範とし、理念の完全・明晰な表現、調和的な形式、理想的な人間像を重視する。文学・演劇ではフランスのラシーヌ・コルネーユ、イギリスのアジソン・ポープ、ドイツの壮年期のゲーテ・シラー・ヴィンケルマン、絵画ではフランスのダヴィッド・アングル、音楽ではハイドン・モーツァルトらがその代表。18世紀中頃から19世紀前半にかけて流行った頃は、新古典主義ともいう。

※2 東方趣味(Orientalism)
1798年ナポレオンのエジプト遠征をきっかけに、中近東の文化への関心が高まり、多くの芸術家の創作意欲を刺激した。モーツァルトがトルコ行進曲を作ったのもその1つ。

※3 ルネサンス(Renaissance)
仏語で再生の意。13世紀末~15世紀末へかけてイタリアに起り、次いで全ヨーロッパに波及した芸術上および思想上の革新運動。現世の肯定、個性の重視、感性の解放を主眼とするとともに、ギリシア・ローマの古典の復興を契機として、単に文学・美術に限らず広く文化の諸領域に清新な気運をひきおこし(人文主義)、神中心の中世文化から人間中心の近代文化への転換の端緒をなした。文芸復興。学芸復興。ルネッサンス。  
-----注釈の内容については、岩波書店『広辞苑』を参照もしくは引用-----

◆アングルのその他の作品

ヴァルパンソンの浴女
 油彩 146×97.5cm 1808年 ルーブル美術館蔵
ヴァルパンソンの浴女ローマに留学して1年後に描いた作品。もともと「座る女」と題されていたが、後に所有していた人物の名をとってこう呼ばれるようになった。女性は少しだけ横顔を見せ、ゆったりと背中を見せて座っている。だがこの姿勢も、やはり不自然である。こういった姿勢を取ろうとすると、首やわき腹にシワが寄る。それらを無視し、体の丸みや滑らかな肌を描いたところに、アングルのこだわりがある。

 油彩 163×80cm 1856年 オルセー美術館蔵
泉ギリシャ神話の「水から上がるヴィーナス」をテーマにした作品。構図のヒントになったのは、ボッティチェリ『ビーナスの誕生』(ウフィッツィ美術館蔵)。均整の取れた肢体と、若さを感じさせる表情や肌。右腕を頭に回し、左足に重心をかけ、腰をひねる。このポーズは背中と並んでアングルのお気に入りだった。1820年フィレンツェに滞在していた時に構想はあったというが、何度もデッサンを繰り返し、完成したのは1856年だった。彼の作品の中で最も知られる絵。

トルコ風呂 油彩 直径108cm 1863年 ルーブル美術館蔵
トルコ風呂アングルの集大成というべき作品。トルコ後宮の女性達が、浴場で過ごしている光景を描いている。音楽を奏でる者、それに合わせて踊る者、香水をふりかける者……様々な姿が見られる。手前の皿には、東方世界である事を示す皿や器が。中央の女性は、『ヴァルパンソンの浴女』と同じポーズをとっている。もともと方形のキャンヴァスに描かれていたが、女性の体の曲線を生かす為に丸く切り取られた。作品の依頼主はナポレオン公(ナポレオン3世の甥)。しかし、その妻クロティルド公妃が「あまりに絵が卑猥」と受け取りを拒否し、転売されたという逸話を持つ。83歳にしてこのような作品を描く意欲には、驚くほかない。

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まったくの偶然だが、現在横浜美術館ではルーブル美術館展が開かれている。アングルの作品で来日しているのは『泉』と『トルコ風呂』。前者は以前日本で公開された事はあるが、後者は国外展示が世界初。ダヴィッドの『マラーの死』もある。かなり混んでいるようだが、1度訪れてみたい。

…で、7/11(月)に行ってきました、横浜美術館。ゴツい外見の割に中はそんなに広くない建物でしたが、ルーブルの展示品はまずまず置いてあったと思います。アングルの作品については『泉』はイメージ通りでしたが、『トルコ風呂』はちょっと黄色かったです。でも、生で見ると写真よりワイセツな印象を受けました。
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■コメント
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- 2005/05/09 1:57
こんばんわぁ。いやぁ、この絵は有名ですよねぇ。まだ生では見たことないんですが。。。女性の姿勢が不自然という話は知っていたんですけど、女性美の探求の結果だったんでしょうかね。とても勉強になりました。やっぱり、ヨーロッパの人は伝統的にポッチャリ型の女性が好きなんでしょうかねぇ。。。笑

★こんばんは~。おっしゃる通りデッサンが不自然というのは、彼の美の哲学ゆえ…だったそうです。確かにヨーロッパ人はポッチャリ体型が好きなのかもしれません。ルーベンスまでいってしまうとどうかと思いますが…。でも『泉』の女性だったら万国で受け入れられるでしょうね。私は『グランド・オダリスク』も好きですけど(笑)

Birigian - 2005/05/10 1:40
美術系、見るのは結構好きなんですが、あまり詳しくなかったり(笑) でも、最初の絵は不自然さ感じる前に、肌や布等の質感の素晴らしさに魅入ってしまいました。つい、細かい手法とか先に眼が行ってしまいます。生の絵だと近くでじっくり見てから、離れて全体を鑑賞するんですよ。空いてないと出来ないんですけどね(^_^;) 私もたまには目の保養に行きたいなぁ~

★私も『グランド・オダリスク』を最初に見た時はただ気に入っただけでした。肌の滑らかな質感がいいですよね~。不自然さ云々というのは、資料を調べてからわかったんです。おっしゃる通り、本物の絵をじっくり見るのは空いていない時は難しいですね。

eryce - 2005/05/18 23:26
ゴブサタです。 アングル…素晴らしい切り口だと思います。本当にアングルひとつでその美 が完成すると言っても過言じゃないですよね!? 特に背中の越しの美しさは 永遠の女性の憧れですね。ラファエロ_聖母の子は先日見て来ました!! 圧倒的にモナリザ人気のルーブルでしたが…思わず足を止めてしまう心に響く作品デス。

★お久しぶりです!旅行から戻られた後、忙しい日々を送られているようですねー。 おっしゃるとおり、アングルが描いた作品は美の完成形、 1つの到達点と言えるでしょうね。写真やCGには出せないであろう味わいを感じます。 パリではルーブルにも行かれたんですね。「聖母の子が有名なのはルーブルに置いてあるから」と言われますが、彼の作風がよく出ている作品ですよね。良いです。


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