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[C606]

先日、平山相太帰国というニュースを見て、
えぇ?あの坊主っくりのぼくちゃん、海外に行ってたの?? どこに(゚Д゚;)??
と、思っていたところだったので、とてもスッキリしました(*'ー'*)♪

もともと私の中の彼の情報は、
~期待されている坊主のぼくちゃん~ 程度のものだったのですが、
読んでみたら、まぁ。。。
G先生の言うとおり、ホント 行き当たりばったり ですねwww
彼の周りに良きアドバイザーとなる大人は居ないのでしょうか??w
いや。。 彼自身の問題なのかな。。
私はあまりサッカーのことは分かりませんが、
ぶれることなく頑張って欲しいなぁと思いましたw

 
  • 2006-09-14
  • 麻咲子
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  • 編集

[C609] 麻咲子さん

ふふふ、「坊主っくりのぼくちゃん」ときましたか。まぁサッカーに興味の
ない人が動向を知らなくても無理はありませんね。
年齢的にはまだ若い彼ですが、プロとしてやっていく以上好き勝手に
ばかりはやっていられません。クラブやファンの声に応える義務が
ありますからね。この先うまくいくといいんですが。

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平山相太の可能性

あなたは人目のお客様です。

国見高時代の活躍は記憶と記録に残る平山相太(ひらやま そうた)。1985年6月6日生、福岡県北九州市出身。身長190cm、体重86kg。彼がその名を全国に知らしめたのは、2001年長崎・国見高時代。1年の時に全国高等学校サッカー選手権大会(いわゆる冬の選手権)で優勝し、1ゴールを記録。しかし、この時はまだレギュラーではなかった。2年生になってエースストライカーに成長し、同大会では7得点で得点王。チームは決勝で千葉・市立船橋に敗れ、準優勝。そして3年連続で冬の選手権に出場。平山は全試合でゴールを決め、9得点の最多タイ記録で2年連続の得点王。チームを優勝へと導いた。大会通算17得点は史上最多。また2、3年時のインターハイも準優勝、優勝を果たしている。彼は高校サッカー史に名を残す選手だった。マスコミがつけたあだ名は「怪物くん」。

また、国際大会での活躍もあった。2003年18歳だった平山は飛び級でU-20代表に選ばれ、12月のワールドユースUAE大会に出場。5試合中4試合に出場し、2得点を挙げている。フル出場したのは1試合のみだったが、将来性を感じさせる動きだった。日本は3勝2敗、ベスト8で大会を終えた。その直後に冬の選手権で爆発した平山は、2004年2月にU-23代表に選ばれる。U-23イラン代表との親善試合に出場し、1ゴール。その活躍に日本が沸いた。作家の海老沢泰久は、スポーツ雑誌『Number』で「平山相太は中田英寿の再来である」という記事を発表した。平山が日本をアテネ五輪へと導き、A代表の一員としてドイツW杯を戦うのではないか。---そんな声も聞かれるようになった。同年3月に行われたアテネ五輪アジア最終予選を日本は突破。しかし、そこで平山が活躍したとは言いがたい。山本昌邦監督は彼をレギュラーで起用したが、6試合で得点0。平山と途中交代で入った高松大樹(大分)の方が目立っていた。

2004年U-23代表のデビュー戦でゴールを決めた論議を呼んだのは、平山の高校卒業後の進路である。多くのJクラブから誘いを受けたが、彼は筑波大学への進学を選んだ。理由は「プロとしてやっていけるだけの体ができていないから」。彼の体は身長と比して線が細く、筋力は弱かった。また「大学でサッカーをやりつつ勉強もしてきたい」とも語った。彼の考えについて、「地に足が着いた考え方だ。サッカー選手は長くやれるわけではないし、先の事を考えたら大学を卒業しておいた方がいい」と評価する見方もあった。確かにサッカー選手の寿命は短い。Jリーグの平均引退年齢は26歳である。しかし、だったらなおの事をプロとしてキャリアは早くから積むべきではないか。彼が成長を遂げる場所として、大学が相応しい場所とは思えなかった。当時私が推していたのはFC東京。原博美監督の元でサイドを大きく使うスペイン流サッカーを志向し、石川直宏という優秀なサイドアタッカーを擁していた。しかし軸となるFWがいない。高さがあり、ポストプレイのできる平山が加入するには最適のクラブと思われた。

結局筑波大に進学した平山だったが、最初の半年間はU-23代表の合宿や試合中心の生活だった。日本は五輪前の強化試合を6つ行っているが、1勝1敗4分けというパッとしない数字。実際のところ、このチームは強くなかった。アテネ五輪本番はパラグアイ(3-4)、イタリア(2-3)、ガーナ(1-0)という結果。1勝2敗でグループリーグを突破できず、大会を去った。平山はレギュラーを奪えず、パラグアイ戦で約20分出場したに留まった。U-23の速さや強さについていけなかったのである。
秋に入って大学サッカー部の活動に参加した平山は、試合にも出場するようになった。その水面下で、Jリーグの
特別指定選手としてクラブの争奪戦が起こった。大学のロケーションから鹿島や水戸(J2)、横浜FMあたりが受け入れ濃厚と見られていたが、平山が選んだのは磐田。アテネ五輪で指揮を執った山本監督の存在が大きかったようだ。年末から大学サッカーやU-19の合宿などの合間を縫って、平山は磐田の練習に参加するようになった(試合出場はなし)。

2005年1月18日ドーハ(カタール)で行われたU-21ベラルーシ戦2005年6月、ワールドユースオランダ大会に出場。前回と異なり、平山はチームの主軸としての活躍が期待された。グループリーグではオランダ(1-2)、ベナン(1-1)、オーストラリア(1-1)と対戦。1敗2分けという成績ながら決勝トーナメント進出を果たし、次にモロッコと対戦。0-1で敗れ、ベスト16という結果に終わった。平山は4試合にフル出場。オランダ戦で1ゴールしたものの、それ以外ほとんど仕事ができなかった。自分が2年前のワールドユースの時と比べて変わってない事にショックを受けた平山は、「海外に出ないとダメだと思った」。そんな彼に、大会後フェイエノールトから練習参加のオファーが届く。当時小野伸二(現浦和)が在籍し、PSV、アヤックスと並ぶオランダのビッグクラブ。練習は入団テストを兼ねたもので、平山にチャンスが巡ってきた。

7月に再びオランダに渡った平山。しかしプロのスピードに全くついていけず、フェイエノールトからは「技術・体力両方に問題がある」と判断された。そのまま日本に帰るかと思いきや、1部昇格を果たしたヘラクレス・アルメロから誘いを受け、入団する事に。3年契約で年俸は約4700万円。大学は休学する事になった。他にもアンデルレヒトとクラブ・ブルージュ(共にベルギー)から声をかけられていたが、実戦の場を求めたのがヘラクレスを選んだ理由だった。
デビュー戦は8月20日に行われたADOデンハーグ戦。0-1のスコアで後半途中からピッチに立った平山は2ゴールを決め、チームは逆転勝利。鮮烈なデビューを飾った。しかしスタメンに定着せず、しばらくゴールからも遠ざかった。監督の
ピーター・ボスから課題として挙げられたのは、まずフィジカルを強化する事。そして、オランダ流の3トップの真ん中(実質的に1トップ)に慣れる事だった。そして3ヶ月を過ぎる頃には随分適応できるようになり、チームにとっては欠かせない戦力となっていた。

ヘラクレスにおける05-06シーズンは31試合8得点ファンやマスコミ関係者から「平山をA代表に」という声は強まった。当人にとっても、ドイツW杯出場は大きな目標。だが、ジーコ監督は興味を示さず、1度も招集する事はなかった。平山はその事に失望したようだが、「代表に選ばれなくとも、このまま海外でプレーを続けたい」という意欲を見せていた。2006年4月には筑波大学を自主退学。オランダでの1stシーズンを31試合出場8得点で終えた。クラブのリーグ順位は18チーム中13位。

その平山が戦力外通告を受けた、というニュースが流れたのは8月31日。当人の弁によれば、前日クラブ幹部との話で「必死さがない。調子も落ちている。クラブから出ていっても構わない」という事を言われたらしい。ポイントとしては、オフシーズン中にオランダ語の勉強がまるで進んでいなかった事や、体重オーバー(ベスト86kgのところを90kgでチームに合流)などの調整不足が指摘された。もっとも、「戦力外通告」という表現は行き過ぎているかもしれない。ヘラクレスはリーグの中でも戦力に乏しく、来季2部降格の有力候補。努力をしない選手にいられても困る、という事情があった。発破(はっぱ)をかける意味で平山に伝えた、とあるクラブ関係者は語る。

だが、それで奮起する気持ちは平山にはなかった。翌日に通訳を交えてクラブと話し合う予定だったが、それをキャンセル。国際サッカー連盟(FIFA)公認代理人の田辺伸明と契約を結び、以後彼に交渉を任せる事になった。田辺は松井大輔(フランス/ル・マン)や稲本潤一(トルコ/ガラタサライ)などの代理人として、サッカーファンの間で知られる人物。9月5日にクラブと話し合いを持ち、同日付で平山の契約解除が決まった。欧州の移籍史上は8月いっぱいで閉じられていたが、自由契約の平山にそういった事情は関係なく、移籍金なしで他クラブへの入団が可能。しかし当人に欧州でプレーするつもりはなく、日本への帰国が決まった。

8日に成田空港に降り立った平山は、今回の退団について「日本に帰って来られて、嬉しい気持ちでいっぱいです。6月に日本に帰った時に、日本が恋しいと思った。オランダの生活になじめなかった。オランダ語は一生、話せないと思う」と語った。彼のもとには、J1 J2合わせて10を超えるクラブからオファーがあった。その中で実際に交渉のテーブルに座ったのは、G大阪、鹿島、FC東京、C大阪、神戸(J2)の5つ。平山サイドは移籍先の条件として(1)強い(2)高いレベルで競争できる(3)FWの人数が多すぎない、の3点を挙げた。そして選んだのはFC東京(以下、東京)。複数年契約とみられ、推定年俸は2500万円。

東京は今季からアレッシャンドレ・ガーロ監督が指揮を執っていたが、成績不振を理由に8月15日付けで解任。現在はクラブのU-18監督だった倉又寿雄が指揮を執っている。リーグ戦は現在11位。主力選手はドイツW杯に出場したDF茂庭照幸とGK土肥洋一、MF今野泰幸など。最新のA代表メンバーにはMF伊野波雅彦、U-21代表にDF増嶋竜也とMF梶山陽平が名を連ねている。全体的に若いチームである。ただFWはルーカス(現在14点で得点ランキング3位)以外目立った選手がいない為、平山獲得に名乗り出た理由は理解できる。
今後平山はメディカルチェックなどを受けた後、Jリーグの今季の選手登録(15日締め切り)の手続きに着手する。早ければ16日の京都戦(西京極)でJリーグデビューする事になる。

・9月12日に平山が行った記者会見の一問一答

FC東京のクラブハウスで記者会見を行った平山相太◆FC東京を選んだ理由は。
ヘラクレスではコミュニケーションが取れず、楽しくサッカーができなかった。FC東京は同年代の選手が多いうえ、練習中の雰囲気も良く、楽しくサッカーができると思った。
◆練習に合流した感想は。
ワールドユース(20歳以下世界選手権)や(アテネ)五輪で一緒にプレーした選手が多く、すぐ(チームに)入りやすかった。オランダの話をしたり、伊野波からA代表の話を聞いたりした。
◆どういうプレーをしたいか。
FC東京は攻守の切り替えが速く、全員攻撃・全員守備がチームスタンス。それを重視したうえで、得点という結果を出せればいい。サイドに突破力のある選手がおり、自分が得意とするペナルティーエリア内でのプレーが生かせると思う。
◆オランダで得たものは何か。
オランダに限らず、欧州はボールを取りに来る時の勢いがすごい。トラップが悪ければボールと一緒に体ごと持って行かれる。球際の強さとか結果にこだわる姿勢を学んだ。Jリーグでもそうした経験を生かしたい。
◆08年北京五輪代表やフル代表入りへの意欲は。
すぐ入れるほど甘い世界ではないが、ぜひ日本の力になりたい。まずはチームで早く試合に出られるようになりたい。

******************************
平山相太について調べると、「行き当たりばったり」という言葉が頭に浮かぶ。サッカー関係者の期待に反し、大学進学。ならばプロ入りは4年後か、と思いきや海外でのプレー。そして大学を退学し、欧州で戦い抜く決意を固めたかと思えば、今回の帰国である。計画的に考えてキャリアを積んでいるわけではない。
素晴らしい才能を持っている事は事実だ。慢性的な得点力不足に悩む日本にとって、彼にかけられる期待は大きい。ただ、才能だけで戦い抜けるほどプロの世界は甘くない。基本的にムラっ気が強い方で、良いプレーを見せたかと思うと次の試合にはゲームから消えている。昨季はシーズン後半にスタミナ切れでバテており、他にも課題は幾つかある。それらにどう取り組むかが、今後の成長の鍵となるだろう。
平山は反町康治率いるU-21代表に招集される見込みで、そこで評価されればA代表への道も開けてくる。しかし彼の実力を見極めるには、しばらく時間が必要だと感じる。評価を焦らず、じっくり見ていきたい。

9月13日(水)
平山が今季のJリーグに出場できない可能性が出てきた。既に東京と合意している平山だが、Jリーグに登録する手続きにはオランダサッカー協会からの国際移籍証明書(ITC)が必要となる。しかし、その書類発行を依頼する立場のヘラクレス・スミット会長が渋っている模様。

報道内容を総合すると、「ヘラクレスが契約を解除した理由は平山が日本で学業に戻ると聞いていたから」。また、「移籍金なしで退団するというのは、アマチュアチームに行くというのが通常の条件」。で、本音としては「FC東京から移籍金として20万~30万ユーロ(約3000万~4500万円)取りたい」という事らしい。「移籍金が発生しないことを口では言ったが、書類には書かなかった」とも言っているが、平山の代理人はそう書かれた書類を持っているとの事。実際にFC東京が支払う必要は無さそうである。
ただし、今季のJリーグに出場する為には13日午後6時までに日本サッカー協会(JFA)に登録し、15日にJリーグに登録する必要がある。もっとも東京は「平山とは、仮に登録が間に合わなくても解除はしない契約を結んだ」としており、今季試合出場できなくても入団決定に変わりがない、と語る。

「学業に戻る」という話もあながち嘘ではない。平山は高校時代に教えを受けた小嶺忠敏の影響から、引退後は指導者になる事を望んでいる。その為、大学への復学希望を明らかにした。教員免許取得の為でなく、コーチ学やスポーツ科学などを学びたいらしい。「(大学で)勉強したことは役に立っている。でも結局、かじった程度。退学してから(学業の)大切さを感じた」と後悔の念を明かした。

第一の希望は筑波大への再入学。同大入試課によれば、再入学に関する条件、単位取得や試験などは平山が在籍した同大体育専門学群の裁量によるため、道は閉ざされてはいない。しかし、時間、地理的に両立は難しく、現段階ではクラブ関係者も難色を示している。何しろ、練習場のある東京都小平市から大学まで車で2時間半かかる。通える距離ではない。そのため今後は近隣の大学進学なども視野に入れ解決案を探る事になる。ただ、当人は10月にも筑波の再入学試験を受けるつもりでいるらしい。

報道を見ると「文武両道という大きな目標を掲げている」など、概ね好意的な内容が目立つ。しかし、この決意はどうかと思う。東京でプレーしたければ筑波はいい選択ではないし、逆もまた然り。そもそも本人が勉強熱心なのか疑問である。例えば帰国した際に「オランダ語を話せなかった」と言っているが、それでは英語は話せたのだろうか。というのも、オランダで働いていた人間から「英語が通じすぎて、オランダ語を覚える気にならなかった」という話を耳にするからだ。サッカーの世界はまた違うかもしれないが、日常生活では英語を使えれば困らない。平山はどうだったのか。語学への意欲は、サッカー選手の力とは比例しない。だが、熱意をを量る物差しにはなるだろう。

Jリーガー兼大学生としてプレイした選手といえば、宮本恒靖(ガンバ大阪)が思い浮かぶ。彼はG大阪に入団した1995年に同志社大学経済学部に入学。プロとしての生活を送る傍ら、6年かけて卒業した。勉強家として知られる宮本ですら、それだけ大変だったのである。平山にも相応の覚悟が求められるだろう。
1度辞めた大学に戻りたい、というのは並々ならぬ決意と見える。「サッカーを第一に優先させる、と決めている」と語っているからには、練習を疎(おろそ)かにする気もないだろう。問題はそれを実行できるかどうか。彼の周りには、良い指導者や先輩がいて欲しいと思う。

9月14日(木)
結局、13日午後6字までにヘラクレスからITCは届かず。JFAは期限を24時間延長して待つ事になった。かといって、待っていれば来る保証はない。代理人の田辺もFC東京の人間も困っている。証明書を発行するのはオランダサッカー協会。しかし、ヘラクレスの許可無しでは発行できない。JFAから依頼を受けたオランダ協会は、既にヘラクレスには要請している。その回答期限は18日で、オランダ協会は締め切りまで静観する姿勢である。

FC東京のグラウンド(東京小平市)で練習を行う平山もしITCが届かなければ、平山サイドは今後国際サッカー連盟(FIFA)の「救済処置」に頼るしかない。FIFAでは、移籍トラブルの救済手段として「ITCが移籍先の協会に提出されなくても、発行依頼から30日を経過すれば暫定登録ができる」としている。平山の場合は9月11日に発行依頼をしているため、オランダ協会から返答がなくても10月10日には公式戦への出場が可能となる。10月17日が登録期限の天皇杯には間に合う。しかし、Jリーグ登録手続き締め切り(9月15日)を過ぎているため、残り12試合ある今季リーグ戦への出場はできない。FC東京への暫定登録は、1年後に正式登録と認められる。ただし、これも1年以内にヘラクレス側が「ITCを発行しない妥当な理由」を示すと、登録抹消の可能性がある。
また、U-21の合宿が9月19、20日と関西地区で行われる予定。これは12月開幕のアジア大会登録メンバーの選考を兼ねている。だが移籍が成立するまで平山は無所属となる為、これには参加できない。

…JFAは14日、オランダ協会から国際移籍証明書が届いた事を発表。これにより難航していたリーグへの登録手続きが可能になり、平山は今季のJ1残り試合に出場できる事になった。どのような交渉があったのかわからないが、1日待った甲斐があった。後は平山が良い結果を出すほかない。

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と、思っていたところだったので、とてもスッキリしました(*'ー'*)♪

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