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ジーコジャパンの検証、お疲れ様でした。
大変興味深く拝見させていただきました。

『4年間で日本代表は退化した』
まさしくその通りだと思うと同時に、
言いようも無い虚しさを感じました。

私も敗戦の責任をジーコ1人に押し付けるつもりはありません。
しかし、違う監督だったならばと、どうしても考えてしまいます。
最も期待された大会だっただけに、残念でなりません。


この失敗が未来の成功に繋がることを切に願っております。
そのためにも、ガチャピンさんがおっしゃるように、
協会には、4年間のジーコジャパンを総括して、
しっかりとした形で、締めくくって貰いたいと思います。

[C500] アンウィさん

コメントをくださり、ありがとうございます。力及ばず言及
できなかった部分もありますが、それはリンクしてある
サイトなどを見ていただければ、と思います。

JFAにはしっかりと考えて貰いたいですが、最近の動きを
見るにあまり期待はできません。日本サッカーの先行きは
かなり不安です。
  • 2006-07-06
  • ガチャピン
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ジーコジャパンの検証

あなたは人目のお客様です。

ドイツW杯を1分け2敗という成績で終えたジーコ・ジャパン。日本サッカー協会(JFA)の恣意的な失言により、次期代表監督への関心が高まっている今日この頃。しかし、その前に考えなくてはいけないのは「ジーコジャパンとは何だったのか」という事。内容も結果も惨敗だったドイツW杯のような結果を繰り返さない為にも、反省は必要不可欠である。色々と意見はあるだろうが、私は「ジーコが何を求めていたのか」を中心に考えてみたい。

■ジーコを支える2つの柱
2002年7月に代表監督に就任したジーコは、当時2つの事で知られる存在だった。1つはサッカー史に名を残すスーパースターだった事。ブラジル代表として3回のW杯に出場。優勝はできなかったが、ファンには愛された。数多くの名選手を生み出したブラジルにおいても、ペレに次ぐ国民的英雄である(詳しい経歴はこちら)。その人気はドイツW杯でも健在だった。海外メディアの日本の紹介は「あのジーコが率いている」という言葉がまず冒頭にあった。そして試合に負けると、「ジーコが可哀想」という調子。
選手としての実績を指して「それほど凄かったのなら、ジーコの言う事に間違いはない」と主張していた人が結構いる。しかし「名選手は名監督にあらず」という言葉がある通り、選手と監督の能力は別物である。むろん中にはどちらでも成功を収める人はいる。ただし、選手経験もなくコーチ一筋で名将と呼ばれるようになった人はそれ以上に多い。それがサッカー界の常識である。

ジーコに関しては「良い指導者になるかも」と期待される実績があった。鹿島アントラーズの強化である。1991年に来日したジーコは、鹿島の前身である住友金属でプレイ。日本リーグ2部に所属する弱小チームだったが、「サッカー選手とはどうあるべきか」身をもって範を示した。そして2年後の1993年にJリーグが開幕すると、1stステージでいきなり優勝。40歳のジーコは素晴らしいテクニックでファンを魅了した。翌年の1stステージで引退した後は、クラブのテクニカルアドバイザーに就任。鹿島を強くする事に力を注いだ。日本サッカー三冠(Jリーグ年間王者、ナビスコ杯、天皇杯)のうち、鹿島がこれまでに獲得したタイトルは9つ。これはJリーグ最多の記録である。

選手としての輝かしい経歴と、鹿島を育てた実績。この2つが日本代表監督になったジーコのバックボーンとなった。

■海外組への期待
海外クラブに所属する選手をどう扱うか。その事についてジーコが意識したのは、ブラジル代表と同じやり方だったのではないか。例えばドイツW杯のブラジル代表は、23人中20人がヨーロッパでプレーしている。これだけいると1度にメンバーを揃えるのは難しいし、長い合宿もできない。だから練習をする時は、戦術を浸透させたり、連携を深めるといった内容が多い。ブラジルの海外組はいずれも若くして才能を認められるか、国内での活躍を評価されて海を渡った者ばかり。彼らの力をいかに引き出すかが、代表にとって重要である。
ジーコはそれを日本でやろうとした。その象徴が、日本版黄金の中盤と言われる4人。即ち中田英寿(パルマ/イタリア)、中村俊輔(レッジーナ/イタリア)、小野伸二(フェイエノールト/オランダ)、稲本潤一(フラム/イングランド)。海外組の彼らに対し、ジーコは特別な指示をしなかった。4人がやりたいようにやってくれればチームはうまくいく…そう考えていたのだろう。しかし、そこに誤算があった。

まず、この4人の組み合わせ。クラブのポジションでいえば中村がオフェンシブハーフ、残りの3人はデイフェンシブハーフ(ボランチ)。しかし中村はもちろん中田英、小野の2人も前でやるのが好きな選手(日本でいう司令塔タイプ)。稲本にしても、2得点を挙げた韓日2002以降は攻撃に意識が傾いていた。ようするに誰も守備をやりたがらなかったのである。話し合って役割分担をすれば良かったのだろう。しかし彼らに限らず、選手同士で話し合う意識は希薄だった。日本では「監督の指示を聞くのが第一」という意識が強い。特に前任者のトルシェは自分の指示を遵守するよう、徹底的に求めるタイプだった。いわば、熱血指導のスパルタ塾。それがジーコになったら、生徒自身がテーマを決める自習塾になった。その変化に戸惑いがあったのだろう。あるいは練習中に議論を交わすと、マスコミに「大喧嘩」や「内紛」と扱われる事が嫌だったのかもしれない(非公開練習があれば良かったのだが、監督の方針により常に公開されていた)。鹿島ではレオナルド、ジョルジーニョ、ビスマルクといったブラジル代表経験者が手本となり、チームのレベルを引き上げた。代表においてはその役割を海外組にジーコは期待したのだろう。しかし、うまくいかなかった。

選手選考がまずかった面はある。例えば藤田俊哉(現名古屋グランパス)。ジュビロ磐田のオフェンシブハーフとして活躍した彼は、誰もが認める実力者。しかし代表に呼ばれる機会は少なかった。ジーコが召集したのは2003年9月、アフリカ・欧州遠征(チュニジア・チェコ戦)のメンバー。既に10試合を消化していたジーコジャパンで藤田が呼ばれるのは、それが初めてだった。ただ、当時藤田はオランダにいた。ユトレヒトにレンタル移籍して、まだ1ヶ月も経っていない頃。チームに馴染む為の大事な時期に、なぜ招集するのか。誰もが不思議に思った。ジーコの判断について「海外組になったから選ばれた」「(航空会社の)マイルが貯まっていると選ばれやすい」と揶揄する声も聞かれた。

後に国内選手からレギュラーも出るが、この「海外組と国内組との融合」は本来ジーコが意図したものではない。海外組で呼ぼうとした選手がコンディション不良やクラブの事情で参加できない事が多く、その穴を埋める形で国内組…福西崇史(ジュビロ磐田)や小笠原満男(鹿島アントラーズ)…がプレイ。その動きを評価されてレギュラーを取る、という形になっただけである。ジーコの海外組を優遇する姿勢は当初に比べて薄れていったものの、決して期待しなくなったわけではない。それはレギュラーから外れた小野や稲本がW杯メンバー入りし、試合に出場した事からもうかがえる。

日本人が海外でプレーする事は珍しくなくなったが、ヨーロッパのトップリーグではかなり苦戦を強いられている。05/06シーズンでレギュラーとしてプレーしたのは、中村俊輔(セルティック/スコットランド)と松井大輔(ル・マン/フランス)の2人だけ。中田英寿(ボルトン/イングランド)のように、クラブで試合に出ずともコンディションを高められる選手は少ない。ちゃんと試合に出られる環境に身を置く事が必要だろう。

次に、チームの守備・攻撃について。

■GKは合格点
選ばれた川口能活(ジュビロ磐田)、楢崎正剛(名古屋グランパス)、土肥洋一(FC東京)の3人は妥当な選考だったと言える。川口と楢崎は8年前のW杯から代表入りする実力者。土肥は1対1における強さをJ1で見せている。選手達のGKコーチ・カンタレリへの信頼も厚かったようだ。W杯3試合で7失点という数字は、川口にとって屈辱以外の何物でもないだろう。しかし彼は評価されるだけのパフォーマンスはしていた。今後も代表に残るだろう。ただ1つ注文をつけるとすれば、第3GK。実際に起用される可能性は非常に低いので、経験の為に若手を連れて行って欲しかった。川島永嗣(名古屋グランパス)あたりは良い選手だと思うのだが。川口・楢崎を脅かす選手に出てきて欲しい。

■迷走したDF陣
鹿島は伝統的に4-2-2-2を好むクラブであり、それはジーコも同じだった。代表でも4バックをやりたがったが、なかなかうまくいかず。その一因は90年代に流行った3-2-3-2を多くのJ1クラブが導入し、その後も定着していたからである。選手達が戦い方に慣れていなかった。やむをえず3バックを採用する事にしたが、2004年のアジアカップを制した事で自信を深める。そして、再び4バックにも取り組みだし、やがて2つのシステムを併用するようになった。そして3バックだったら田中誠(ジュビロ磐田)、宮本恒靖(ガンバ大阪)、中澤佑二(横浜Fマリノス)。4バックでは加地亮(ガンバ大阪)、宮本、中澤、三都主アレサンドロ(浦和レッズ)がレギュラーに。しかしW杯では3試合7失点。これはフランス1998の3試合4失点、韓日2002の4試合3失点より明らかに悪い(過去2大会の日本の成績)。一体何が問題だったのか。

以前こちらの記事で紹介した通り、代表入りを疑問視される選手がいた事は確かである。実際に加地、宮本、三都主のパフォーマンスは低かった。ただし、それ以上に感じたのは組織としての脆弱さである。松田直樹(横浜Fマリノス)によれば、「代表で守りの練習を仕切っているのは宮本」だという。にわかには信じがたい話だ。通常、そういった事は監督(もしくはコーチ)の仕事である。守備を軽視しているとしか思えないやり方だ。しかし、ジーコならばやりかねないとも思う。それが表れているのは、控え選手の扱いである。ジーコは代表メンバー発表の席でスタメンを発表する事が多かった。チームに序列をつけ、レギュラーには「ちゃんと心構えをするように」という事を求めていたのだろう。しかし、発表のタイミングが早すぎる。合宿に一生懸命取り組んでもベンチスタートが確定していれば、選手はやる気を保てない。

また、田中がいなかったから4バック(2005年3月25日W杯アジア最終予選イラン戦後)や遠藤がいないから3バック(2006年3月30エクアドルとの親善試合前)など、選手によってシステムを代える事が多かった(わざわざその事を明言し、こちらでも控え選手の反感を買った)。しかし、守備では誰が入っても同じように機能する事が重要。その事をジーコがわかっていたのか、甚だ疑問である。
W杯に連れて行った人数も気になる。初戦の豪州戦には3バックで臨んだが、センターバック(CB)は計4人だけ。途中で坪井が足をつって茂庭が交代出場したので、ベンチにはCBが1人もいなかった。ここは倍の6人を用意するのがセオリーである。「中田浩ならCBもできる」とジーコは語ったが、紅白戦はいざ知らず実戦で起用した事はない。本当にやる覚悟があったのか。

サイドバックでは駒野と加地、三都主の3人がプレイ。加地と駒野はなかなか頑張ったと思うが、後半になってからのスタミナ不足やクロスの精度に安定感を欠いた(これも日本では伝統的な問題)。三都主の守備はとうとう最後まで改善されず、攻撃で作ったチャンスも少なかった。このポジションには面白い選手が何人もいるのに、あまり代表に呼ぼうとしなかったのは失敗だろう。DFを整備する事について、監督及びスタッフはまるで評価できない。

■バランスの悪かった中盤
CBとは対照的に、人数が多すぎたのがボランチである。中田英、福西、稲本、小野、中田浩、遠藤。このうち遠藤以外は皆ピッチに出たが、「展開によって誰が出場するのか」という決まり事がなかった。その象徴とも言えるのが豪州戦の小野である。守るのか攻めるのか、皆が戸惑った。そして小野が中途半端に上がった結果が、3失点につながった。

また日本のダブルボランチには構造的欠陥があった。守備のスペシャリストがいなかったのである。ボールを持った相手を前に進ませず、こぼれ球には素早く反応する、いわゆる「汗っかき」と言われるタイプである。フランス代表のマケレレ、イタリア代表のガットゥーゾ、韓日2002の戸田和幸(現サンフレッチェ広島)などを想像してもらいたい。
しかしレギュラーの福西は攻守をつなぐ「バランサー」。そして中田英がどんどん前にあがっていく選手なので、福西への負担が大きかった。そしてW杯では福西が不調だった為に、中盤の守備が崩れた。これはある意味、当然の結果である。

中田英の攻撃参加については、賛否両論がある。福西は「もっと守備をして欲しい」と思っていたし、小笠原や中村は「ボランチが前に出てくると自分達が使えるスペースが減る」と嫌がった。では中田英の独断かというと、そうではない。ジーコはその攻撃力を認めていた。だからブラジル戦では後半途中で小笠原を下げて中田浩を入れ、中田英を前に上げている。問題は、そういった交代を選手達が理解していたかどうか。答えはNoだろう。特に中田英と中村のコンビネーションは少ない。2人のサッカー観の違いは、かなり深刻だった。

そして小笠原と中村の交代要員がいなかった事も痛い。特に中村はずっと体調がおかしく、39度の熱を出していた。体調管理に失敗したのは本人の責任。しかし、起用するか決めるのは監督である。「替えの効かない選手」という認識だったのだろうが、宮本や三都主にも同じ扱いをしていた。何があっても決めた選手を使い続けるか、それとも調子によってメンバーを入れ替えるのか。どちらのやり方の方がいいとは言えないが、結果を見るに「柔軟性の欠ける采配だった」と言うほかない。

■FWは日本サッカーの悩み
選手がゴールを決められない事について、監督の責任はどれほどあるか。その質問に答えるのは難しい。監督ができる事は、なるべく決められそうな選手をピッチに送り出す事だけである。そして3試合でFWは1得点。選手選びに失敗した、と言われても仕方ない。しかし他に良い選手が見あたらなかったのも事実である。ジーコにとって特に残念だったのは、この2人だろう。
1人は怪我の為にW杯メンバーから外した久保竜彦(横浜Fマリノス)。もう1人は大久保嘉人(セレッソ大阪)である。2003年の東アジア選手権を皮切りに、17試合に出場。しかし1点も決められなかった。これだけチャンスを与えられたFWは、他にいない。

クロアチア戦後の練習はシュート練習ばかり。シュートが枠にいかない事について「ブラジル代表だったら…」とコメントを漏らすあたりは、「ジーコも焼きが回ったな」と感じさせる。とはいえ、誰が監督になろうとも、この得点力不足の悩みは消えないだろう。

◆総括

トータルで見ると、この4年間で日本代表は退化したと感じる。やはりジーコに現場の指導経験がなかった事は、大きかったのではないか。フランス1998ではブラジル代表のスーパバイザーを務め、鹿島ではテクニカルアドバイザーの職にあった。しかし、いずれも大きな責任を取らされる立場ではない。いつも記者に張り付かれ、試合の前後に必ず記者会見をしなくてはならない経験はこれが初めて。自身の代表経験、そして鹿島のやり方が通じなかった時は手詰まりになってしまうケースが多かった。この先経験を積めば、ジーコもいい監督になるかもしれない。しかし素人を選んだJFA、特に強力に推薦した川淵三郎会長の責任は重い。W杯の3試合について技術委員会がレポートを出すそうだが、4年間に関する総括も欲しいところだ。

むろん試合に出たのは選手であり、負けた責任の大部分は彼らにある。もしも精一杯のプレーがあの程度ならば、W杯でどんな相手と戦っても勝利は望めないだろう。日本にはアジア予選を突破するだけの力はある。しかし、W杯に出場するのと勝つのとでは、求められるレベルが違う。その為には選手、監督、関係者、サポーターなど全ての質を高めなくてはいけないだろう。日本が再び決勝トーナメントに進出するには、かなり時間が必要かもしれない。

■同じテーマについて書かれたサイト
●goo スポーツ:NumberWeb
[ジーコ・ジャパン ドイツへの道] 2006年 ドイツW杯総括 ジーコジャパンとは何だったのか。
スポニチ Sponichi Annex サッカー 緊急連載「日本再生-06年W杯 検証と提言」

「日本は一番戦っていなかった」上川主審らが辛口評価 (7月4日 読売新聞)

2試合で笛を吹いた上川徹主審(43)と広嶋禎数副審(44)。世界レベルの戦いを直接目にする2人は、日本代表について「(出場チームで)一番、戦っていなかった」と辛口に評価した。
上川主審は「強いチームは汗をかいている」ときっぱり。日本は、地道にボールを追い掛ける泥臭い部分が欠けていると、映った。広嶋副審は「相手ボールにプレスをかけることをさぼったら、幾ら技術のある選手がいても勝てない」と指摘した。
技術面では、ボールを奪い取ろうとする場面で、体格で劣る日本はどうしても反則が多くなる。上川主審は「Jリーグの試合でしっかり、反則を指摘していきたい」と改めて強く思ったといい、「そうすることで、選手には反則なしでボールを奪う技術をさらに磨いて欲しい」と話した。

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中田英寿の引退について言いたい事は色々あるが、 ひとまず彼のメッセージをアップするに留める。公式サイトがつながらなかった人は読まれたし。

 Hide's Mail "人生とは旅であり、旅とは人生である"(2006.07.03) その1 その2

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ジーコジャパンの検証、お疲れ様でした。
大変興味深く拝見させていただきました。

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まさしくその通りだと思うと同時に、
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私も敗戦の責任をジーコ1人に押し付けるつもりはありません。
しかし、違う監督だったならばと、どうしても考えてしまいます。
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