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[C395]

ガチャピンさん、この話題を取り上げてくださってありがとうございます。
大変に参考になりました。(何の?というツッコミはさておき

しかし、日本は男色の文化があるとは聞いていたものの
こんなに色濃くさまざまな時代に残っていたとは知りませんでした。
家光のエピソードはドラマ大奥で見たので、知っていましたが、
足利義満と世阿弥のくだりは、全然知りませんでした。
学校の社会では絶対教わらない裏歴史ですね…。

男女間での強姦はもちろん犯罪ですが、
男同士だった場合も犯罪になるのでしょうか?
土佐藩の話にはぞっとします…。

[C396] 15さん

何の参考になったのかわかりませんが、喜んでいただけたようで
何よりです(笑)
確かに日本の歴史には随所に男色の影響が感じられますね。能や
歌舞伎の設立に深く関わっている、という事も興味深いです。男性が
女性を演じる文化があった為に、同性愛について比較的寛容だった
ようです。

男女間はもちろん、男同士でも強姦は犯罪になります。また青少年
については、男女ともに淫行条例が適用されます。土佐藩の話は
すさまじいものがありますね。自分がそういう時代にいなくて良かっ
たと思います。

[C397]

お久しぶりです。
ずいぶん久しぶりにお邪魔してみたら、なかなか興味深い・・・
おっと!深い意味は無いですって(汗)

それはそうと、そういう事実は昔からあったんですね~
古事記などではずいぶん色物関係のネタがありますけど、むしろ現代よりも実はもっといろいろなものが(何が?って想像もつかないようなコトが)あったんじゃないですかね~?
最近、性の乱れがある・・・とか言われていますけど、現代のモラルって明治維新で確立されたもので、考えた方によっては”元に戻っている”という解釈もされているらしいですね(笑)

なんだかんだで、私は同性愛など考えられないですね~
やっぱ女の子が大好きなワケですよ・・・あ・・・知ってる?

  • 2006-05-23
  • 探偵
  • URL
  • 編集

[C398] 探偵さん

ご無沙汰してます。久しぶりにいただいたコメントがこういう記事に
対してとは、面白いものですね(笑)

性愛の文化が「元に戻っている」ですか。その事は明治に確立され
た現代のモラルが、日本に根付いていない事を示しているのかも
しれませんね。とはいえ、その時の社会状況によって「何が○で
何が×か」判断基準は異なります。一概に昔と同じ、とは言えない
でしょうね。

探偵さんが女の子を大好き、という事は知っています。しかしそれ
も、相手や状況によるんじゃないですかね。絶世の美人である同
性と、性的に全く魅力を感じない異性がいたとします。周囲に人が
おらず、関係が全く知られないとしたら…どちらと寝ますか?

[C399] 衆道

こうしてまとめていただくと、面白いですね。
「好色一代男」に、そんなに男が出てくるなんて知りませんでした。
武将に男色が多いのは、血のケガレを嫌ったからという話を聞いたことがありますが、
こうしてみると、もっといろいろな背景があるみたいですね。

>強姦
厳密には、強制わいせつ罪でしょうか。
重い強姦罪は「女子を姦淫」に限定されますから、被害者は女性限定。
「姦淫」つまり「挿れる」ことが必要なので、正犯は原則として男性限定。

>軍隊
オスマントルコの親衛隊イェニチェリも、「深い絆」で結ばれた精鋭部隊だったと聞きます。

>歴史を学ぶ上で知っておくと役立つ事も多い。
まさにガチャピン様の言うとおりだと思います。
歴史の背景理解に、恋愛関係を含めた人間関係の理解は、欠かせないんでしょうね。

[C400] 山猫男爵さん

お久しぶりです、男爵殿。
男の強姦に関するフォロー、ありがとうございます。

交わる相手が誰か、というのは重要だったようですね。軍隊においては
「経験が浅くて若い兵士が、歴戦の勇士と交わる=精を与えられる事に
よって強くなる」という思想があったようです。恐らくイェニチェリもそうだっ
たのではないかと。女性は月経や出産がある為に不浄な存在と見なさ
れていたので、男よりも低く見られがちだったようです。

今日的な感覚だけで歴史を見ると「正しい」か「間違っている」かは容易に
判断できます。でも、それは一方的な価値観ですよね。そこに人間関係や
時代背景を加味する事によって、より多角的に考えられます。歴史を学ぶ
上で、忘れてはいけない事でしょう。

[C403]

( ̄■ ̄;)家光が…ナント!!
春日の局の物語が大好きだったので、まさかこんな苦労をあの方がしていらしたとは…。
他の時代の話もとても興味深く読ませていただきました!
純粋に、●研の日本の歴史にもこういった話をぜひ織り込んで欲しい気がしました。
男色とはちょっと違いますが、政治的な面で影響があったという点で中国後宮の宦官のことを久々に思い出しました。
  • 2006-05-25
  • うぃ
  • URL
  • 編集

[C404] うぃさん

楽しんでいただけたようで嬉しいです。
ほほう、春日局の話がお好きなのに家光の事を知りません
でしたか。まあ、本によっては書いてないかもしれませんね。
おっしゃる通り、学●の本には掲載されない情報でしょうし。

宦官については、この記事を書きながら私も考えました。彼らも
興味深い存在ですね。記事にするには、色々と勉強しなければ
いけませんが…。宦官が登場する話に、浅田次郎の小説【蒼穹
の昴】があります。面白いですよ。

[C405]

もし、キリストの教えが同性愛を否定していなかったら・・・。
今の日本も違うのかもしれませんねぇ~ 。

女性と寝るのは低俗なんて、なんかショック(*´Д`*)
猿から人間になった時はそんな差別は無かったはずなのに、
どこからそうなったんでしょうね~。
今は女がもてはやされ過ぎだと思う節もありますけど・・・。

猿が人間になったのかどうかも賛否両論あるようですけどww
 
  • 2006-05-25
  • 麻咲子
  • URL
  • 編集

[C407] 麻咲子さん

世界にある文化や宗教を見た場合、同性愛を肯定しているものは
少数のようですね。そうすると人口は増えませんし。だからキリ
スト教がとりわけ珍しいわけではないです。日本でも男色が一般
市民に広がったから、批判的な見方が増えたのでしょう。

女性の事を重要視していた時代はあったと思います。ただ、今日で
いう女性平等という考え方が登場したのは、歴史的に見ればごく
最近でしょうね。

類人猿と人間の間を結ぶ印は、まだ見つかってないですね。いわ
ゆるミッシング・リンクというやつです。本当はどうなんでしょう。

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男色の研究

あなたは人目のお客様です。

一昨年ベストセラーとなった新書【頭がいい人、悪い人の話し方】の著者、樋口裕一氏は受験小論文の第一人者として知られる。大学受験の為に予備校に通っていた頃、私もその教えを受けた事がある。1回の講義は確か2時間だった。そのうち最初の30分が解説に充てられ、残り90分で生徒が論文を書く。そして次回の講義では、論文の中で最も出来の良かったものをサンプルとして解説が行われ、また論文を書く----そういう流れだった。私がいたのは25人ほどのクラスだったが、1度だけサンプルに選ばれた事がある。その時のテーマは「時代によって価値観の違う事」。そして、私が文章の中で取り上げたのが男色だった。当時は大した知識もなしに書いたが、今回は真剣に調べてみた。

■男色とは
「だんしょく」もしくは「なんしょく」と読み、男性の同性愛を指す。衆道(しゅどう)ともいう。この記事では日本の歴史に登場したものを扱う。

■その始まり
日本において、男色はいつ始まったのか。その記録は最古の書物である『古事記』に見られる。ヤマトタケルが九州のクマソ征伐を行った時のエピソード。色白で美しい少年だったヤマトタケルは髪を結い、女装をして敵の宴に潜り込んだ。彼を見た敵の大将が自分の席へと呼び、膝の上に座らせようとした際に懐に持っていた短剣で命を奪った、という話である。「相手の尻に剣を刺した」という記載から男色を連想する人は多い。また『日本書紀』においても権力者の男色を示す話が見られる。歌人・大伴家持は美少年を愛していて、彼らに送った歌が『万葉集』に収められている。つまり、男色は少なくとも奈良時代には存在していたらしい。

■平安時代
男色史を語る上で欠かせないのが、空海である。「弘法も筆の誤り」「弘法筆を選ばず」といったことわざでも知られる人物。彼は青年時代に唐の長安に渡り、仏教を修めた。そして日本に戻り密教の教えを広めたわけだが、その際に男色の習慣も伝えたと言われる。彼が開いた高野山・金剛峰寺や最澄の比叡山・延暦寺は女人禁制。僧の身の回りの世話をしたのが、稚児(ちご)と言われる少年だった。彼らはもともと貴族の子弟であり、成人まで学問修行をしながら寺の召使いとして働いた。僧と違って有髪なのが特徴。彼らが僧侶の男色相手となった。「女性がいないから男同士でしたのだろう」と思われがちだが、そうとも言い切れない。そもそも寺に女性が禁じられた理由は、修行の妨げとなるから。女は男を色香でたぶらかす魔物であり、穢(けが)れた存在と目されていた。女性と交わるよりは男の方がよっぽどいい、と考えられていたのである。性行為についても男尊女卑は存在したのだ。

都の貴族達でも男色は流行した。これには大きく分けて3つのパターンがある。まず、権力者の少年愛。例えば天皇が出家すると法皇になるが、そうすると女と交わる事が許されない。その代わりに美少年と遊んだ、という話。2つ目は主従関係におけるもの。男色をする事によって結びつきが深まったという。この場合性交においても上下関係が成立し、主がタチで部下がウケにまわる事が一般的だった。3つ目は自由恋愛、もしくは出世に絡んだ男色である。
3について調べる時、必ず出てくるのが藤原頼長という人物である。姓が示す通り権力者である藤原一族の人間で、左大臣まで出世している。彼は『台記』という記録を残しているが、夜を共にした男について多くの記述がある。相手は父親のかつての愛人だったり、正妻の兄弟だったり、時には男だけの3Pなど。頼長の名前が歴史に登場するのは、保元の乱。平治の乱と並び、武士が台頭するきっかけとなった事件。この武士にしても、男色とは無縁ではない。そもそも貴族と武士は別の存在ではなく、もともと身分の低い貴族=武士であった。彼らが出世するきっかけとなったのが男色。つまり、上流貴族に体を差し出したわけである。源義仲(木曽義仲)の父親は頼長と、平清盛の父は白河天皇と関係があった。後に鎌倉幕府を開く事になる源頼朝にしても、少年時代に後白河帝(崇徳帝の弟)の相手をしていたと言われる。

注意していただきたいのは「男色=男しか愛せない人の性行為」ではない、という事だ。そもそも当時は「セックス=異性と行うもの」という価値観はない。「男色=男とやる」「女色(じょしょく、にょしょく)=女とやる」。する相手が異性か同性か、という違いがあるだけ。貴族のほとんどがバイセクシュアルな時代であった。平安期を代表するプレイボーイであった歌人・在原業平や、紫式部『源氏物語』の光源氏ですら男と夜を共にしている。人によって好きな度合いは違ったろうが、男色をする者でも結婚して子供が生まれる事は、何ら不思議ではなかったのだ。

■鎌倉~室町時代
権力者層となった武士の間で、男色は非常に重要なものと見なされた。男同士で交わる事=男らしい事だったのである。男色を礼賛する一方で、女色は蔑視された。武士の身辺の世話をする仕事から女性は遠ざけられ、少年が「小姓」として働くようになった。彼らが男色の相手となった事は言うまでもない。その価値観は全国各地に広まっていった。室町時代で有名なのは3代将軍の足利義満で、彼のお気に入りは猿楽師(さるがくし)の世阿弥。後にの大成者となる世阿弥は、義満に大いにかわいがられた。余談だが義満は急死を遂げた為に死因には幾つかの説がある。そのうちの1つは「義満が皇位簒奪を図った為に、朝廷が彼を暗殺した」というもの。作家・井沢元彦によれば、その実行犯は世阿弥である。

■戦国時代
日本の歴史において、屈指の人気を誇る時代である(その期間については様々な説があるので、15世紀末からおよそ1世紀を目安として欲しい)。何人もの戦国武将の名前が、今日まで伝わっている。そして、有名どころのほとんどが男色家であった。その事にも意味はある。

武士道には「忠義」という概念がある。1人の主に使えたら死ぬまでひたすら尽くす、という考えだがこの頃はまだ確立されていなかった。能力に自信のある人間は諸国を渡り歩き、主を求める事が当たり前。例えば明智光秀は美濃の斎藤家→足利将軍家→越前の朝倉家と経てから、織田家に仕えた。しかし動乱の世においては裏切りが起きたり、寝首をかかれる事もある。いかに信用できる部下を確保するかが、大きなポイントだった。そして男色関係にあった主従では、裏切りが少なかったのである。その為少年期から部下になった者は、主君から愛されるケースが多かった。例としては織田信長前田利家または森蘭丸徳川家康井伊直政武田信玄高坂昌信など。信玄が昌信に送った恋文が近年発見されており、伊達政宗が只野作十郎(小姓)に送った書状も現存する。男色の相手といえば、美少年というイメージが強いかもしれない。しかし、皆がそうだったわけではない。はじめは少年でも、元服後は重い甲冑をつけ、戦場を走り回ったのである。やわな体では務まらない。体はガッチリしていて筋骨隆々、肉付きの良い者もいたようだ。

「男色にいそしむ者は男らしく、女色に耽る者は軟弱」。そういった価値観の世においてある意味「男の中の男」と言えるのが、上杉謙信である。彼は生涯妻をめとらず、家に子供が生まれなかった(後継者の景勝は甥にあたる)。しかし、周りには常に美しい小姓がいたという。知勇兼備の将として知られる直江兼続も、その相手の1人だった。逆に男色に全く興味を示さなかった人間もいた。豊臣秀吉である。大の女好きだった為か、武家の生まれでなかったせいか。いずれにせよ、彼にとって惹かれる風習ではなかったようだ。
16世紀はキリスト教が伝来した時期であり、欧州の宣教師が海を渡って日本を訪れた。彼らは男色について「非常に野蛮で、文化レベルが低い」と考えた。カトリックでは同性愛が禁止されていた為、この反応は妥当であろう。

■江戸時代前期
徳川家康が幕府を開いた後も、男色の風習は残った。将軍の幼少期から共に育った者で、後に幕府の要職に取り立てられた者が多い。側近を作るという意味で男色は重要であった。しかし、物事には程度というものがある。3代将軍家光は美少年を愛する反面、女性への関心は薄かった。世継ぎを求める者がやきもきしたのは、言うまでもない。乳母であり大奥の権力者でもあった春日局は何とかしようと考え、既に出家して尼になった者を強引に還俗させたり(お万の方)、町娘を側室に迎えたり(お楽の方)した。努力の甲斐あり、やがて男子が産まれた。 {家光は男色の歴史の中でとりわけ有名な人物。私がかつて論文に記したのも、彼についてだった}

町民にとって男色が一般的となったのも、この時代である。その発端は歌舞伎だった。出雲阿国が始めた女歌舞伎は男装した女性が踊るものであり、やがて遊女歌舞伎として広まっていった。しかしその内容がストリップに近く、また舞台以外では娼婦として活動した事から、「社会風紀上好ましくない」と幕府が取り締まる事となった。替わって現れたのが若衆歌舞伎。今度は美少年達が舞台に登り、また男娼として活動した。興行主を接待するのも、大切な仕事だったのである。しかしながら、それもワイセツという理由で禁止。そして年を取った男が舞台に上がるという、野郎歌舞伎が登場した(これが今日の歌舞伎へとつながる)。しかし役者として活動するにも修行が必要。少年達は幼い頃から芸事に励み、そのかたわらで14,15歳から客を取った。彼らは陰間(かげま)と言われ、歌舞伎以外の男娼を示す言葉としても使われた。そして陰間茶屋が数多く誕生し、一般庶民にも親しまれるようになった。女性で買う客もいて、客層としては若後家や奥女中など恋愛の機会が少ない職業が多かったという。陰間茶屋の最盛期は元禄時代(1688-1704)。井原西鶴『好色一代男』を書いているが、主人公世之介は女性3742人、男性725人と関係を持った。また西鶴は『男色大鑑(なんしょくおおかがみ)』という書を表している。そして数多くの句を残し、俳聖と称される松尾芭蕉も男色家であった。

■江戸時代中後期
江戸で華開いた男色文化であったが、18世紀に入ると衰えが見られるようになった。理由は幾つか考えられる。まず女性の服装や化粧が華美になり、魅力的になった事。そして社会が安定してきた為に、労働力が必要とされる時代になったという事も挙げられる。つまり、男色に耽る者→女性と交わらない→結婚をしない→子供が生まれない→社会に働き手を提供しない→そういう男は役立たず、という認識が強まったのである。

武士達にとっても、男色は厄介なものとなっていた。男色をした者同士は義兄弟の関係になったのだが、「心に決めた以外の人間は相手にしない」というのがルールだった。しかし、すんなりといかないのが恋愛。トラブルがもとで、喧嘩や刃傷沙汰が絶えなかった。例えば『忠臣蔵』のモデルとなった、1703年の元禄赤穂事件。江戸城松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかった理由は諸説あるが、その1つは「小姓が原因」である。即ち、吉良が浅野の小姓を気に入り、「譲ってくれ」と頼んだところ断られた。その事に腹を立てた吉良が浅野に嫌がらせをするようになり、怒った浅野が斬りかかった…という話である。やがて幕府は義兄弟を禁止するようになり、社会から男色が退潮するようになった。とはいえ、完全になくなったわけではない。1802-14に十返舎一九が記した滑稽本『東海道中膝栗毛』には弥次郎兵衛と喜多八(弥次さん喜多さん)という2人組が登場するが、彼らは男色関係にあり、そもそも旅の始まりは駆け落ちであった。社会的に男色が認められていなければ、こういった本が流行する事もなかったろう。また江戸では廃れていった男色だが、全国的にそうなったわけではない。九州、特に薩摩ではなお盛んであった。

薩摩には鎌倉、室町から続く武士道的男色が残っていた。藩士となる若者達は地域毎に「二才(にせ)」と「稚児」に分けられる。二才とは元服から妻帯までの14~20代半ばの青年、稚児は元服以前の少年を指した。稚児を指導するのが二才の立場であり、稚児は他の地域の二才と接する事は禁じられた。女性についてはもってのほかで、「道の向こうに女が見えたら、穢れが移るから避けるべき」という教えが普及していた。二才と稚児が男色の関係になったのは、ごく当然の成り行きと言えるだろう。幕末の英雄である西郷隆盛も、とある僧と関係を持っていたらしい。「九州男児」といえば男らしい事の代名詞だが、確かに当時の薩摩は男らしかった。
この薩摩に負けず男色が一般的だった、といわれるのが土佐である。武士の少年であれば、男色の契りの意味を知らぬ者はいなかったという。もし男色を拒む少年がいたとすると、年上の者が徒党を組んで家に押しかけ、少年を捕まえて強引に犯した。隣室に父母兄弟がいても一切構わず、また家族達も見て見ぬふりをした。恐ろしい話である。
薩摩と土佐といえば、幕末の動乱期に多くの人材を輩出した事で知られる。その事実と男色が関係あるかどうか定かではないが、結束力を深める事にはつながっているのかもしれない。

■明治以降
明治維新が起きて薩摩の人間が東京へと流れ込むと、一部で男色ブームが吹き荒れる。それは学校。特に全寮制の男子校で盛んであったようだ。大人気となったのが『三五郎物語(しずのおだまき)』という本。薩摩藩士吉田大蔵と美少年吉田三五郎の情事が描かれていて、男色道におけるバイブルであった。異性の事で頭がいっぱいの生徒は軟派、少年愛を好む生徒は硬派。入学してきた美少年は、硬派に体を狙われる運命にあった。その影響は学校の外にも現れ、街で容姿の良い少年が姿を消すと、真っ先に疑われたのが「男色好きの書生による誘惑拉致」であったという。そういった事を体験したり見聞した事は森鴎外『ヰタ・セクスアリス』をはじめ、徳富蘆花『蘆花日記』、川端康成の記録に見られる。また里見は「少年時代、志賀直哉に惚れていた」と後に述懐している。

もう1つ男色が流行したのは軍隊であった。明治後期にある政治家が書いた手記によると「男子同性愛が兵士や士官の間に非常に蔓延している」事は明らかであり、多くの兵士達が腕を組み、手を握りあって通りを歩いていく姿を見かけた、という。民俗学者フリードリヒ・クラウスはこの報告を読み「兵士の激しい愛と絆が力となり、日清・日露戦争の勝利へつながったのではないか」と推測した。とはいえ、軍隊における男色は珍しいものではない。それは古代エジプトの軍隊が「世界最古の男色」として認知されている事からも明らかである。
しかし、男色ブームが続いたのもせいぜい半世紀ほど。大正の半ばには、時代遅れと目されていた。西欧化が進む中、古いものが飽きられたのだろう。それは政府にとってもありがたい事だった。国際社会で列強と肩を並べる事を目標にしていた中で、男色が残っている事は「文化レベルが低い」と非難される理由につながったのだ。そして男色は廃(すた)れていった。

■現在
戦後以降の「男色」を取り巻く状況を説明するのは難しい。その言葉に含まれていた同性愛、少年愛はそれぞれ細分化され、多様化した事で一括りに説明できなくなった。
例えば、女性が少年愛を愉しむようになった事もその1つ。美少年同士が愛し合う姿は1970年代から小説や漫画で見られるようになり、80年代以降は同人誌、アニメ、ゲームなど多くのメディアで扱われるようになった。そのジャンルは内容によってやおい、またはボーイズラブなどと表現される。近年では女性ファンの事を腐女子と呼ぶ事も認知されてきている(また少数ながら、男性にも愛好家がいる)。描かれる恋愛はあくまで架空のものであり、ファンはそれを承知で楽しんでいる。架空だからこそ、というべきか。いずれにせよ「かつての男色に近い世界を、女性が楽しむようになる」という現象は、先人達も予想できなかった事だろう。
言葉としても概念としても、男色は過去の遺物である。学校の授業で教えられる事はまずないし、TVの時代劇や大河ドラマで男性同士が愛し合うシーンは放送されない。しかし、歴史を学ぶ上で知っておくと役立つ事も多い。そういう意味で、語り継がれるべき事柄と言えるだろう。

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10件のコメント

[C395]

ガチャピンさん、この話題を取り上げてくださってありがとうございます。
大変に参考になりました。(何の?というツッコミはさておき

しかし、日本は男色の文化があるとは聞いていたものの
こんなに色濃くさまざまな時代に残っていたとは知りませんでした。
家光のエピソードはドラマ大奥で見たので、知っていましたが、
足利義満と世阿弥のくだりは、全然知りませんでした。
学校の社会では絶対教わらない裏歴史ですね…。

男女間での強姦はもちろん犯罪ですが、
男同士だった場合も犯罪になるのでしょうか?
土佐藩の話にはぞっとします…。

[C396] 15さん

何の参考になったのかわかりませんが、喜んでいただけたようで
何よりです(笑)
確かに日本の歴史には随所に男色の影響が感じられますね。能や
歌舞伎の設立に深く関わっている、という事も興味深いです。男性が
女性を演じる文化があった為に、同性愛について比較的寛容だった
ようです。

男女間はもちろん、男同士でも強姦は犯罪になります。また青少年
については、男女ともに淫行条例が適用されます。土佐藩の話は
すさまじいものがありますね。自分がそういう時代にいなくて良かっ
たと思います。

[C397]

お久しぶりです。
ずいぶん久しぶりにお邪魔してみたら、なかなか興味深い・・・
おっと!深い意味は無いですって(汗)

それはそうと、そういう事実は昔からあったんですね~
古事記などではずいぶん色物関係のネタがありますけど、むしろ現代よりも実はもっといろいろなものが(何が?って想像もつかないようなコトが)あったんじゃないですかね~?
最近、性の乱れがある・・・とか言われていますけど、現代のモラルって明治維新で確立されたもので、考えた方によっては”元に戻っている”という解釈もされているらしいですね(笑)

なんだかんだで、私は同性愛など考えられないですね~
やっぱ女の子が大好きなワケですよ・・・あ・・・知ってる?

  • 2006-05-23
  • 探偵
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[C398] 探偵さん

ご無沙汰してます。久しぶりにいただいたコメントがこういう記事に
対してとは、面白いものですね(笑)

性愛の文化が「元に戻っている」ですか。その事は明治に確立され
た現代のモラルが、日本に根付いていない事を示しているのかも
しれませんね。とはいえ、その時の社会状況によって「何が○で
何が×か」判断基準は異なります。一概に昔と同じ、とは言えない
でしょうね。

探偵さんが女の子を大好き、という事は知っています。しかしそれ
も、相手や状況によるんじゃないですかね。絶世の美人である同
性と、性的に全く魅力を感じない異性がいたとします。周囲に人が
おらず、関係が全く知られないとしたら…どちらと寝ますか?

[C399] 衆道

こうしてまとめていただくと、面白いですね。
「好色一代男」に、そんなに男が出てくるなんて知りませんでした。
武将に男色が多いのは、血のケガレを嫌ったからという話を聞いたことがありますが、
こうしてみると、もっといろいろな背景があるみたいですね。

>強姦
厳密には、強制わいせつ罪でしょうか。
重い強姦罪は「女子を姦淫」に限定されますから、被害者は女性限定。
「姦淫」つまり「挿れる」ことが必要なので、正犯は原則として男性限定。

>軍隊
オスマントルコの親衛隊イェニチェリも、「深い絆」で結ばれた精鋭部隊だったと聞きます。

>歴史を学ぶ上で知っておくと役立つ事も多い。
まさにガチャピン様の言うとおりだと思います。
歴史の背景理解に、恋愛関係を含めた人間関係の理解は、欠かせないんでしょうね。

[C400] 山猫男爵さん

お久しぶりです、男爵殿。
男の強姦に関するフォロー、ありがとうございます。

交わる相手が誰か、というのは重要だったようですね。軍隊においては
「経験が浅くて若い兵士が、歴戦の勇士と交わる=精を与えられる事に
よって強くなる」という思想があったようです。恐らくイェニチェリもそうだっ
たのではないかと。女性は月経や出産がある為に不浄な存在と見なさ
れていたので、男よりも低く見られがちだったようです。

今日的な感覚だけで歴史を見ると「正しい」か「間違っている」かは容易に
判断できます。でも、それは一方的な価値観ですよね。そこに人間関係や
時代背景を加味する事によって、より多角的に考えられます。歴史を学ぶ
上で、忘れてはいけない事でしょう。

[C403]

( ̄■ ̄;)家光が…ナント!!
春日の局の物語が大好きだったので、まさかこんな苦労をあの方がしていらしたとは…。
他の時代の話もとても興味深く読ませていただきました!
純粋に、●研の日本の歴史にもこういった話をぜひ織り込んで欲しい気がしました。
男色とはちょっと違いますが、政治的な面で影響があったという点で中国後宮の宦官のことを久々に思い出しました。
  • 2006-05-25
  • うぃ
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[C404] うぃさん

楽しんでいただけたようで嬉しいです。
ほほう、春日局の話がお好きなのに家光の事を知りません
でしたか。まあ、本によっては書いてないかもしれませんね。
おっしゃる通り、学●の本には掲載されない情報でしょうし。

宦官については、この記事を書きながら私も考えました。彼らも
興味深い存在ですね。記事にするには、色々と勉強しなければ
いけませんが…。宦官が登場する話に、浅田次郎の小説【蒼穹
の昴】があります。面白いですよ。

[C405]

もし、キリストの教えが同性愛を否定していなかったら・・・。
今の日本も違うのかもしれませんねぇ~ 。

女性と寝るのは低俗なんて、なんかショック(*´Д`*)
猿から人間になった時はそんな差別は無かったはずなのに、
どこからそうなったんでしょうね~。
今は女がもてはやされ過ぎだと思う節もありますけど・・・。

猿が人間になったのかどうかも賛否両論あるようですけどww
 
  • 2006-05-25
  • 麻咲子
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[C407] 麻咲子さん

世界にある文化や宗教を見た場合、同性愛を肯定しているものは
少数のようですね。そうすると人口は増えませんし。だからキリ
スト教がとりわけ珍しいわけではないです。日本でも男色が一般
市民に広がったから、批判的な見方が増えたのでしょう。

女性の事を重要視していた時代はあったと思います。ただ、今日で
いう女性平等という考え方が登場したのは、歴史的に見ればごく
最近でしょうね。

類人猿と人間の間を結ぶ印は、まだ見つかってないですね。いわ
ゆるミッシング・リンクというやつです。本当はどうなんでしょう。

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東京のIT系企業に勤める男。1977年生まれ。趣味は読書、スポーツ観戦、トレーニング、ブログ、映画鑑賞。

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