Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)
 ※言及リンクを持つ記事からのみ、受け付けています。
http://gachapin99.blog48.fc2.com/tb.php/185-b4b1f3f1

-件のトラックバック

-件のコメント

コメントの投稿

投稿フォーム
投稿した内容は管理者にだけ閲覧出来ます

前園真聖の評価

あなたは人目のお客様です。

前園真聖(まえぞの まさきよ)1973年10月29日生。鹿児島県出身。身長170cm、体重63kg。鹿児島実業高校を卒業後、1992年に横浜フリューゲルスに入団。ポジションは攻撃的MF。彼の特長としてまず挙げられるのがドリブル。重心を低くし、細かいタッチで抜いていく姿勢はディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)を真似て会得したものだった。シュートへの意識が高く、パスやフリーキックの精度もなかなか。Jリーグ初期に活躍した南米の選手達へのインタビュー記事を読んだ事がある。既に帰国した彼らに「うまいと思った日本人選手は誰か」尋ねたところ、「マエゾノ」「名前は覚えていないが、フリューゲルスの7番」といった返答が多かった。

94年にA代表(監督:ロベルト・ファルカン)とU-21代表(監督:西野朗)の両方に選ばれる。しかし翌95年にはサッカー協会の方針により、アトランタ五輪に向けて専念する事に。当時日本は68年に銅メダルを獲得したメキシコ大会以降、1度もサッカーで五輪に出場する事ができなかった。2002年に行われるW杯を招致する為、国際的に日本をアピールしなくてはいけない。その為に五輪出場が重要だったわけである。前園はキャプテンに選ばれ、チームを引っ張る事になった。95年5月に行われた1次予選を日本は突破。そして翌年3月にマレーシアで行われるアジア最終予選に進んだ。しかし直前に行われた合宿で、エースストライカーであった小倉隆史(名古屋グランパスエイト)が右膝を負傷し、戦線離脱。他にも多くの選手が怪我を抱えながら、最終予選を迎える事となった。出場するのは8チーム。2つのグループに分かれてて予選リーグを行い、それぞれ上位2チームが決勝トーナメント進出。そして準決勝を勝った2チームに五輪出場権が与えられる。
前園真聖【ドリブル】予選リーグでイラク、オマーン、UAEと当たった日本は 2勝1分けで通過。準決勝の相手は大会No.1といわれたサウジアラビアだった。この試合で輝いたのは前園。幾度となく倒されながらも立ち上がり、削られながらも前へと進んだ。そして叩き込んだ気迫の2ゴール。泥だらけの背番号7を中心に日本は戦い抜いた。2-1で勝利し、五輪出場決定。
決勝では韓国相手に負けたものの、選手達は一躍 ヒーローになった。特に前園は人気者となり、雑誌や テレビの取材が殺到。TVCMへの出演もするように なる。はっきりとした時期は不明だが、弟分の中田英寿(ベルマーレ平塚)と共に『日清ラ王』のCMに出て「ヒデ、ラーメン食いにいきたくねぇ?」と言ったり、AC(公共広告機構)で「いじめ、カッコ悪い」と喋ったりしていたのだ。6月に発売した著書『ドリブラー』はベストセラーに。それは異常とも言える盛り上がりだった。

もっとも、五輪での活躍を人々がどこまで期待していたかは疑問である。何しろ初戦の相手はブラジル。言わずと知れたサッカー大国であり、この時のメンバーにはロベルト・カルロスやフラビオ・コンセイソン、サビオ、ジュニーニョ・パウリスタ、「20世紀最後の怪物」ロナウド(登録名はロナウジーニョ)他、オーバーエイジとしてベベット、リバウド、アウダイールが加わっていた。いずれも名の知られた選手ばかり。優勝候補の筆頭であり、その実力はA代表をもしのぐと言われた。しかし7/22にマイアミ・オレンジボウルスタジアムで行われた試合で、日本は1-0で勝ってしまう。これが世に言う『マイアミの奇跡』である。サッカーの国際大会で日本がブラジルに勝ったのはこの1回しかないので、確かに奇跡なのかもしれない。試合で最も活躍したのは川口能活(横浜マリノス)。怒涛の攻撃を受けながらも怯まず、必死の守りでゴールを許さなかった。ゲームメーカーのジュニーニョを徹底マークした服部年宏やスイーパーの田中誠(共にジュビロ磐田)など、DFの頑張りも光った。決勝点は左サイドを上がった路木龍次(サンフレッチェ広島)のクロスボールから生まれた。ゴール前に向かった城彰二(ジェフ市原)を追いかけようとしたDFアウダイールと、ボールを取ろうと飛び出てきたGKジダが衝突。ゴールに向かって転々と転がるボールを、上がってきたボランチの伊東輝悦(清水エスパルス)が押し込んだ。世紀の番狂わせにブラジルは意気消沈、日本は熱狂の渦に。
では、この試合で前園は活躍しただろうか?答えはNoである。城や中田と共に攻撃を任されてはいたものの、チームは防戦一方。たまにボールが回ってきても、相手にすぐ取られた。05年の引退報道の際に時事通信は{『マイアミの奇跡』を演出}と書いていたが、かなり微妙な表現だ。中には「ブラジル戦で1番輝いていたのはゾノ」という人もいるが、それは絶対にない。

前園真聖(アトランタ五輪ナイジェリア戦)初戦で大金星をあげた日本だったが、次の試合のナイジェリア戦(左写真)途中から、チームはガタガタになる。詳しい事情はスポーツライター金子達仁の出世作『28年目のハーフタイム』を読んでもらいたいが、一言でいうならチーム内のコミュニケーションがうまく取れなくなっていた。理由の1つはアジア予選突破後に過熱した報道のほとんどが、攻撃陣に偏っていた事。威勢のいいコメントを出す前園、城、松原良香(清水エスパルス)などばかり取り上げられ、守備には全く目が向けられなかった。勝てば攻撃陣のおかげ、負ければ守備陣のせい。そういった雰囲気がチームを険悪にしていった。また監督の西野は経験が浅く、その状況を改善するだけの手腕がなかった。長らくアジアだけで戦っていた日本は、世界で戦う術を知らなかった。0-2でナイジェリアに敗戦。次のハンガリー戦を3-2で勝利し、2勝1敗。しかし日本は得失点差でブラジルとナイジェリアに及ばず、決勝トーナメント進出はならなかった。前園のプレーに関していえば、最も活躍したのは2得点をあげたハンガリー戦になる。しかしアジア最終予選で見せたプレーは観られなくなっていた。泥だらけになりながらゴールを奪い、他のアジア諸国に強烈なインパクトを残したキャプテンは、アトランタにはいなかった。

それでも前園の人気は衰えない。五輪直後の8月からA代表の親善試合に召集されるようになった。加茂周監督の下でレギュラーになり、やがてW杯初出場へ導く事を人々は期待したのである。また1シーズン制で行われたこの年のJリーグで横浜Fは3位となり、前園はベストイレブンに選ばれた。ただ、彼の力が飛び抜けて優れていたわけではない。当時のチーム戦力は充実していて、中盤には現役ブラジル代表であるジーニョとサンパイオ、同じくベストイレブンに選ばれた山口素弘(日本代表)らが名を連ね、レベルの高さはリーグ屈指。前園1人がミスをしても、カバーしてくれる選手達がたくさんいた。しかしその恵まれた環境が、彼の成長を妨げる事にもなった。

前園の長所はこの記事の冒頭でも記した通り。では、欠点は何か。運動量が少ない、足元でばかりボールを貰いたがる、90分間集中を保てず、ゲームから消えやすい、守備をしない…色々あった。しかし、その事を指摘する人間が近くにいなかった。クラブは前園の人気を利用したい為に待遇をどんどん良くしていき、うるさい事を言わなくなった。マスコミは前園にへそを曲げられると困る為、褒めるばかりでプレーを非難する報道を避けるようになった。そういった諸条件が結果的に彼を増長させてしまったのである。派手な夜遊びなど、ゴシップが週刊誌に載るまで時間はかからなかった。

「前園がやる気を失ったのは、海外移籍話が消滅したからだ」という説がある。具体的にいうと、アトランタ五輪終了後にスペインのリーガ・エスパニョーラに所属するセビージャ(セビリア)移籍の話があったのに、クラブ側が勝手に潰してしまった、という話。しかし真相はどうやら違うようだ。セビージャが興味を持っていたのは確か。しかし、横浜Fが求める移籍金4億円を支払う気はなかったのだ(詳しくはこちら)。海外志向の強かった前園はガッカリしただろうが、人気選手を安く売りたくないクラブの事情もわかる。当時の横浜Fは多額の借金を抱えて苦しんでいたのだ(これが後にクラブ消滅へとつながる)。また、セビージャが大金を出して取りたいほど、前園に実績がなかったのも事実である。何しろレベルの低いアジアで、1度もW杯に出場した事のない国の選手。慎重になるのは、当然だったのかもしれない。

96年のシーズンオフ、前園はクラブと契約で揉める。横浜Fから海外クラブへ行く事はもう不可能だと、彼は感じていた。すぐに海外に行けないとしても、まずはここから出ていこう。そして選んだのが、ヴェルディ川崎だった。94年三浦知良がジェノア(イタリア)に渡った実績に期待したのである。ここで1997/1/30の新聞記事を引用しよう。
----------------------------
サッカー日本代表のMFとして活躍する前園真聖選手(23)の横浜フリューゲルスからヴェルディ川崎への移籍が30日、決まった。ヴェルディではビスマルク(27)選手の背番号7をつけてプレーするが、チームの人気が低迷しているだけに若手ナンバーワンの加入が大きなカンフル剤になるのでは、と期待されている。
移籍金についてフリューゲルス側がJリーグ規定に基づいて4億5000万円を要求したのに対しヴェルディ側が提示したのは2億5000万円。交渉はこの大きな開きをどれだけ埋められるかが焦点となった。しかし、「日本代表を浪人させるわけにいかない」として両チームが歩み寄り、30日に森下社長とフリューゲルスの山田恒彦常務が会談、日本人選手としては過去最高の移籍金3億4500万円(推定)で合意に達した。
前園選手の話:
まず、サッカー関係者やファンなど多くの人にご迷惑をかけたことをおわびしたい。(移籍が決まり)正直言ってほっとした。この2ヶ月間は自分なりに苦しんだ。ヴェルディの強いときのイメージしかないので、それに勝るようなチームにしたいし、自分もそれなりのプレーをして、優勝を目指して頑張りたい。
ヴェルディ川崎 森下社長の話:
いままでの前園のイメージを捨て、グリーンの前園としてレギュラーの位置を確保し、大いに活躍してほしい。将来海外でのプレーを夢みているので、1年でも早く達成してくれるよう期待している。
----------------------------
横浜Fが求める移籍金の満額とはいかなかったが、3億4500万も払うヴェルディはすごい。能力の高いビスマルクが鹿島アントラーズに去ってしまったとはいえ、そんなに払うだけの価値が前園にあるのか?疑問の声は多くあがった。横浜Fのサポーター達からは「あいつなんか、どこでも勝手にいけばいい」と思われた。新聞記事にあるように、移籍騒動は2ヶ月にも及んだ。最初は残留を求めていたサポーターも、時間が経つうちにやがて諦める。「どこに行ってもゾノの事を応援する」と考える人は、少数派だった。

この移籍が前園の運命を大きく変えた。V川崎はJリーグ創成期こそ強豪としての地位を保っていたが、その後ベテランから若手への切り替えに失敗。この頃は弱体化の道を辿っていくところだった。そして前園もまた、その流れに呑み込まれた。97年の1stステージでは17チーム中16位。2ndは12位。「海外移籍の前の腰掛けにやってきた」前園に対し他の選手は冷たく、そして彼のプレーからかつての切れ味は失われていた。移籍後すぐに代表には召集されたものの、レギュラーにはなれず。やがてメンバーからも外れるようになった。
そして前園のいないところで、日本のW杯初出場が決まった。だが、彼を待望する声はあった。五輪代表主将として戦った経験から期待する者もいたし、「ドリブル勝負を仕掛けられるMFは貴重だ」という声もあった。代表に欠かせない選手となった中田英寿が「代表にはゾノが必要だ」と度々語っていた事の影響も大きい。しかし、加茂の次に監督になった岡田武史も前園を起用しなかった。

98年1stステージで、V川崎は18チーム中6位。前園は相変わらずチームで苦労していた。そして同年9月にはサントス(ブラジル)へのレンタル移籍が決定。ここから彼の放浪が始まる。99年には同じくブラジルのゴイアスへ。その後ポルトガルのギマランイス、ギリシャのPAOKサロニカと接触するも、本契約には至らず。00年にはJ2の湘南ベルマーレで国内リーグ復帰。契約は全てレンタルだった。ヴェルディに戻ってきたのは01年の事。彼がいない間にチームはホームタウンを移し、クラブ名も東京ヴェルディ1969へと変わった。
松木安太郎監督の下で01年のシーズンを迎えた東京Vだったが、1stステージを4勝11敗。最下位に沈む。松木は解任になり、引き継いだのが小見幸隆。彼は石塚啓次を中心としたサッカーを展開しようとしたが、2nd開幕と同時に石塚は骨折。チームが迷走する中、前園も9月に足首を骨折。シーズン絶望となる。東京Vは2nd残り5試合となった段階で、元ブラジル代表FWのエジムンドを獲得。数多くのトラブルで有名な選手だけに不安視する声は多かったが、卓越したテクニックでチームを引っ張り、最終戦でJ1残留を果たした。02シーズンも小見が指揮を執る事になったものの1stの開幕から5連敗を喫し、ロリ監督に交代。前園は構想外となり、試合に出られなくなった。そして同年7月に戦力外通告を受けた。ヴェルディにおける2度目のチャレンジは、またも苦い結果に終わったのだった。
前園真聖(安養LGチータース)数ヶ月の浪人生活を送った後、02年11月からプレーの舞台を韓国Kリーグに移した。まず安養LGチータース (左写真)に所属し、04年には仁川ユナイテッドFCでプレーした。
日本に復帰する噂は時々出た。03年にはJ1に昇格したアルビレックス新潟。監督の反町康治とは横浜F時代の同僚、という縁もあった。そして04年にはヴィッセル神戸。話題性だけで選手を取る三木谷オーナーなら動くのではないか、と言われた。しかし、いずれも噂に留まり具体的な契約には結びつかなかった。選手としての実力以前に人間性が問題視され、「トラブルメイカー」のイメージが浸透していたのだ。実際のところ、前園は昔よりずっと謙虚な人間になっていた。しかし彼を必要とするクラブは、日本にはもうなくなっていた。05年にはセルビア・モンテネグロの1部リーグのOFKベオグラードの入団テストを受けたが、契約には至らず。そして5/19に現役引退を表明した。J1での通算成績は191試合34得点。代表Aマッチは20試合4得点。

前園真聖のキャリアを振り返った時、改めて感じるのは活躍した期間の短さである。多くの注目を集めたのが2年、その間に良いプレーを見せたのは1年ほどしかない。大きな怪我や手術をしたわけではない。若くして有名になり、周りからチヤホヤされてダメになった典型例と言える。ただ、当時の状況も考慮しなくてはなるまい。94アメリカW杯出場を逃した日本はファルカンを監督に招聘したものの、1年でクビ。停滞期にあったA代表にかわって注目されたのが五輪代表だった。当時の日本にとってW杯も五輪も遠い存在であり、どちらに出ても盛り上がれるだけの価値はあったのだ。10年経った今日では事情が違う。五輪には3回連続出場していて、出る事は珍しくなくなった。W杯も同様。出場する事は最低限のノルマとなり、ファンはベスト16以上を求めるようになっている。もしもこういった状況で前園がプレーしていれば、過剰に熱狂される事も罵声を浴びる事もなかったろう。その実力について、然るべき賞賛と批判を受けていたはずだ。海外クラブへの移籍も、ずっとたやすかったに違いない。しかしそういう環境になったのも、これまで積み重ねてきたものがあればこそ。そして世界への扉を開いたという点では、アトランタ五輪代表の功績は大きい。その一員として戦った背番号7のドリブラーもまた、記憶に留めておくべき選手なのかもしれない。
この記事を読んだ方は、クリックお願いします→ブログランキング バナー


■コメント
Ray - 2006/01/24 0:48
「マイアミの奇跡」の時は僕は中学生になったばかりで今ほどサッカーにも興味なかったんですが、たまたま電気屋の家電コーナーでやってて、周りの人と一緒に「アレ?あれ? これはひょっとする?? うおぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」ってなったのはっきり覚えてます。 そしてその後のハンガリー戦で得点挙げた前園もはっきり覚えてますが、その後は「名前が出る程度」という印象しかなかったですが、ガチャピンさんの記事見て納得。活躍した期間は短かったんですね・・。 しかし自分ら世代なら誰しも前園の存在を知っているし、ファンも多かったのは、「記録よりも記憶に残る選手」だったのだと思います。 ある意味それもスポーツ選手の勲章かも知れませんね。^^; 良いか悪いかはともかく・・。  しかし若くして注目され周りからも持ち上げられた結果、実力頭打ちに・・・というのは何とも皮肉としか言いようがないですが、これもまたスポーツの一面ですね・・。

★なるほど、あの時のブラジル戦の時はよく覚えているんですね。私は大学生で、確か1人家のTVで観ていました。試合終わった後に友達に電話して「おいおい、勝っちまったぞ!」と言っていた気がします。 前園は人気ありましたから、当時の中学生くらいには影響は大きかったと思います。カズの次に代表のスターになる存在と目されていましたし。まぁ選手としていつがピークなのか、後になってみないとわからないもんですよね。 Rayさんはボクシングに詳しいですから、おわかりでしょう。新人の時に有望視された選手が途中でつまづき、勝てなくなってしまうケースはたくさんあります。

某地域の姫 - 2006/01/24 10:02
サッカーを見るときにいっつもいっつも気になっていたことが前園でした。「彼はどーした?」と。今回ガチャピンさんが話題に取り上げてくれて非常に嬉しかったです。そして、いつものようにわかりやすかったです!私は、協会にいいように利用され、潰されてしまった選手なのか?と思っていましたが、本人の人柄や実力、時代背景・・もろもろが重なっていたのですね。先日高校サッカー決勝でコメンテーターとして出演しているのを見ました。型にはまらず、色んな意味でおもしろい解説者になってくれるといいな、と思います。

★おお、初めてのコメントになりますね。彼の引退は昨年の事なんで、時期は外れているんですけども。喜んでもらえて嬉しいです。 協会が利用して潰した、とはまた協会も随分悪いイメージですね(苦笑)。ただ、色々な人々が彼を利用し、それを彼が制御できなかったのは事実ですね。 高校サッカーの解説は、私も少し観ました。そういった形でサッカーに関わる事もしていくようです。彼のキャラ的に解説は向いてない気もするんですけどね…。

某地域の姫 - 2006/01/24 22:14
あ、誤解なきように念のため言っておくと、サッカー協会のイメージは良いです。しかも、仕事でその辺絡んでいたこともあるのでよく知ってます(^^)ただ、色々見えない所で色んな圧力やらなんやらあるのは、どこでも一緒かな~?と思っていたから、先ほど書いたような思い込みをしていました。そして、彼は解説者には私も向いてないと思います。サッカーのことはよくわかりませんが、キャラ的に無理なんじゃ?と。なので、型にはまらないおもろい解説者に・・と書いたわけでございます(^^)

★補足説明ありがとうございます。 > 色々見えない所で色んな圧力やらなんやら > あるのは、どこでも一緒これは確かにそうかもしれませんね…。 彼が解説の仕事をどの程度やっていくつもりかは、よくわかりません(引退した時は会社経営をしていく、とか言っていたので)。でも、型にはまらない解説だったら彼に合っている気がします。

とも - 2006/01/25 1:47
読みました。これは秀逸な記事だと感動。なるほど~って。いつの間にかいなくなったので、どうしたのかな~って思ってたし、なぜ代表に戻らないのかな?とかどこにいるのかな?って思ってたので、前園選手については。

★コメントありがとう。君も前園の行方を気にする 1人だったかい。 そういう人はまずまずいるみたいだね。 当時の影響力を感じるな。

とらよ - 2006/01/27 20:48
ガチャピン様。
前園氏は2001年11月24日に試合に出場していません。2001年9月に足首を骨折しており、その頃はリハビリ中です。
また、戦力外通告を受けたのは2002年7月です。

★大変失礼しました。ご指摘くださり、ありがとうございます。 速やかに訂正させていただきます。
スポンサーサイト
この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)
 ※言及リンクを持つ記事からのみ、受け付けています。
http://gachapin99.blog48.fc2.com/tb.php/185-b4b1f3f1

0件のトラックバック

0件のコメント

コメントの投稿

投稿フォーム
投稿した内容は管理者にだけ閲覧出来ます

Appendix

Twitter

       過去のログはこちら

各種プルダウンリスト

ベストセレクション

■【書評】
書評格付け400
■【映画】
映画格付け300

文字の拡大・縮小

プロフィール

ガチャピン

作っている人:ガチャピン

東京のIT系企業に勤める男。1977年生まれ。趣味は読書、スポーツ観戦、トレーニング、ブログ、映画鑑賞。

全タイトルを表示

TopHatenar Map

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

クリック募金

管理人へのメール

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。