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働かない男

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ニート NEET
Not in Employment, Education or Trainingの略で、「職に就いておらず、学校機関に所属せず、就労に向けた具体的な活動をしていない15~34歳(※)の未婚の者」を指す。もともとは イギリスの労働政策の中で使われるようになった言葉で、2004年頃から日本で普及するように なった。現在日本にいるニートの人数は60万とも120万とも言われている。
※34歳までである理由は、就職して年金受給資格を得られる為には25年分の保険料払い込みが必要な為、それを開始出来る最後の年齢である事から。

ひきこもり
定義は色々とある。厚生労働省は「さまざまな要因によって社会的な参加の場面がせばまり、 就労や就学などの自宅以外での生活の場が長期にわたって失われている状態」といい、精神 科医の斉藤環によれば「6ヶ月以上」だという。特徴や症状については、個人によって様々。

------------------
「ニート」と「ひきこもり」。いずれもよく耳にする言葉である。あなたはこれらの言葉を聞いて、どんな事を思うだろうか。重要な社会問題と捉える人もいれば、「なぜ働こうとしないのか。甘えるのもいい加減にしろ」と怒る人もいる。私の場合は、考えると複雑な気持ちになる。どちらも経験しているからだ。

2000

3月、大学を卒業した私は実家に戻った。正確には「戻らざるをえなかった」。就職先を決められず、他に行き場所がなかったのだ。やりたい仕事はあった。予備校か塾の講師。浪人時代に教えを受けた予備校の講師に感銘を受け、自分もなりたいと思っていた。大学時代に家庭教師や塾のバイトをしていた影響もあっただろう。ただ、就職活動ではあまり回れなかった。途中まで全く別の業界を志望していたからだ。実家に戻った私は状況を楽観していた。親からは「モラトリアムは1年間」ということは聞かされていたが、「4月以降仕事を探せば、どうにかなるだろう」と。パソコンを買ったり、ドリームキャストを遊んだりしていたのだ。
だが、うまくはいかなかった。中途採用で探しても、対象は経験者ばかり。受けては簡単に落ちた。社員にこだわらず、バイトで探す事を考えたのは秋以降の事。その頃は「どこかの正社員になり、実家を出ていく」事がまず頭にあった。しかしそういった事を思い描きながらも、絶対的に努力が足りなかった。救いがたい存在だった。

他業種のバイトをしつつ、半年が過ぎた。親からは「これからは日中を家で過ごさないように」という話を受けた。ユースホステルに近い感覚で生活を送るように、との事(そういう制度を作るのが大好きな人達だった)。外に出かけて、とっとと仕事を決めて来いという事だったのだろう。前より力を入れて仕事を探したが、状況はさして変わらず。日中は図書館で過ごす事が多かった。自動車免許を持っていなかったので、教習所に通った。ついでに中型&大型二輪も取得。
学生時代の友人とは時々連絡を取った。特に卒業して2、3年は「一緒に頑張っていこう」という連帯意識が高いもの。付き合っていた誰と誰が結婚したとか、誰が仕事を辞めたとか、そういう個人情報は自然と耳に入った。しかし、旧友で集まって食事をする時は居心地が悪かった。仕事の楽しさ、職場の愚痴、お薦めの風俗店。どの話題にも発言権がない。司法試験や大学院合格の為に浪人している人間とは立場が近かったが、そういう人間がいる事に安堵している自分が嫌だった。
そうこうしているうちに、20世紀最後の年が暮れた。新世紀到来という事で、街では色々なイベントが行われていた。その前年にはミレニアムで盛り上がっていた気もするが、騒ぐ理由があれば何でもいいのだろう。いずれにせよ、そういった喧騒と私は無縁だった。

2001

あと3ヶ月以内に実家を出て行かなくてはいけない。年が明けて、日に日に焦燥感は募っていった。目星がついたのは3月に入ってから。「そんなにこの仕事をやりたいなら、うちで働いてみるか。よそで落ち続けた奴を育ててみるのも面白い」そう言われて、ある塾から内定を受けた。契約社員として、新卒の社員と共に講師研修を受ける事になった。これでようやく、道が開けた。

初めて研修を受けたのは3/12(月)。ただ研修自体はそれより前に始まっていて、全12日間のうち既に7日を消化していた。私は採用されるのが遅かったので、途中からの参加になったわけである。塾のメインターゲットは【公立高を目指す公立中の生徒】なので、教える内容は難しくない。問題はどうやって教えるか。塾独特の話し方や、黒板の書き方などが研修で指導されていた。まずそのスタイルに慣れなくてはいけない。
研修は大いに苦戦した。言われている事はわかるが、実践する事ができない。ダメ出しの連続。学生時代からその塾でバイトしている奴は堂に入ったもので、ハッキリと差が感じられた。だが、どうにか食らいついていかなくえては。研修が行われるのは13時~22時過ぎまで。私の家からは遠く、通勤には2時間以上かかった。家に帰るのは終電。泥酔客や疲れたサラリーマンと一緒に、私は電車に揺られた。家に着いたらその日の復習。数時間眠った後で今度は予習。
3日目の夜から、食欲がなくなった。まともに眠る事も出来なくなった。ウトウトしていても、夜中ちょっとした事で目が覚めてしまう。夢の中でも仕事について考えていて、気が休まらなかった。やらなくてはいけない業務は多様にして多忙。そのプレッシャーに吐き気と腹痛が襲ってきた。
全体の研修が終わった後、私だけ数日追加してやる事になった。日数も実力も足りないから、それは仕方ない。ただ、スケジュールを聞いて気が滅入った。追加研修の後で、赴任先へ。そこは新設の教室で、新人がいきなり派遣されるのは異例だった。しかも教室長が「講師の中で1,2を争うほど怖くて厳しい」との評判。そこで教室の仕事をしながら、春期講習の準備をするのだ。追加研修から講習開始まで、期間は10日。その間に不動産屋を回ってアパートを探し、引っ越しも済ませなくてはいけない。果たして自分がやっていけるのか、大いに不安だった。
もっとも、同じ塾でも教室によって雰囲気がかなり違うという。ひとまず上司と話をしてみよう。電話をかけてみたが、室長は不在。事情を説明してみたが、「新人が来る事は聞いていない」という。どうやらまだ決定してないようだ。決断するならここしかない、と思った。人事担当者に会い、「すいませんが、辞めさせて下さい」と頭を下げた。その頃は吐き気と腹痛で、普通の会話すら困難な状況だった。これでは教壇に上がれない。

こんな形でチャンスを失ってしまうとは、何て事だ。心の拠り所を失った私は、大いに落胆した。この先どうするか考えなくてはいけない。もう講師をやる気にはなれなかった。一体どうしたらいいんだろう。とりあえず体を治すのが先決だ。親に理解を求め、3月中の退去は待ってもらったった。しかし2週間経っても快復せず。仕方なく、引っ越し先を探す事に。住みたい土地を探す気力もなく、近所の不動産屋に赴いた。
3月までかなり忙しい不動産屋も、4月は割と暇である。幾つかの物件を親切に案内してくれた。ただ、ここでも会話に支障が出ていた。何か言おうと思うと、それを口にする前に頭の中で会話が始まってしまう。「自分が○○というと、向こうが××と返す。そして…」という感じ。返ってくる言葉は全て否定的だった。むろん、それは妄想の中の話。しかし私にはひどく説得力のある想像だった。「自分のような人間が、相手に迷惑をかけてはいけない」そう、訴えてきた。相手からすれば、何だかよくわからなかったに違いない。目の前にいる私は額に汗をかき、何分間もただ固まっているだけだったから。それでも、どうにか引っ越し先を決める事ができた。

相変わらず体調には悩まされた。吐き気と腹痛を感じない日はなかった。食欲はわかず、口にするのはスポーツドリンクとサプリメントくらい。約1ヶ月で体重が10kg落ちた。もともとかなり太っていたという事もあるが、「人間食べなければ痩せる」という事を実感した。このまま放っておくわけにもいかない。私は病院を訪れた。内科に行き胃カメラで調べたところ、胃潰瘍が見つかった。薬で治療し、楽になった。吐き気については心因性のものと診断され、心療内科にも出向いた。
心理学及び精神医学については調べていた時期があり、どういう風に治療を行うかある程度は知っていた。しかしそこの医者(推定40歳・女性)の対応は、私をガッカリさせた。少し話をすると「いるんだよねー、そういう人」と語り、ぞんざいな態度で私に接した(事前に問診をした看護師の方がちゃんと話を聞いてくれた)。貰った薬で気分は楽になったが、この医師と話す事は何もないと感じた。その為2回目に訪れた時に「もうここには来ない」と告げた。1回目と違ってえらく親切に接してきたが、私は興味を失っていた。

4月末に引っ越し。ここから新しい生活を始めなくては。だが、私は相変わらず病んでいた(自律神経失調症だったのだろう)。毎日朝が来る事を恐れていた。早朝の新聞配達のバイクのエンジン音、仕事や学校に出かける人の靴音、それらは働かない私を責めているように聞こえた。だったら寝ていればいいと思うかもしれないが、夜寝ようとすると暗闇の中で色々な事を考えてしまう。起きていた方が気持ちが楽だった。眠るのは昼間。それ以外の時間は起きていた。
その頃はストレスを感じると、すぐに腹痛と吐き気が襲ってきた。そして、あらゆるものが自分にとってプレッシャーだった。例えば外出しようとして、財布が見つからない時があったとしよう。どこにいったのか、部屋を探す。すぐに見つけられず、だんだん焦ってくる。どこかに落としたか。いくら入っていたか。いや、金額より免許を悪用されたらどうする。そうやって、悪い方向にばかり妄想が膨らんでいく。数分もしないうちにトイレの中で吐いていた。何も食べていなくても、胃液だけが出た。
そんな例はいくらでもある。【仕事探しに役立てようと、中谷彰宏の『面接の達人』を本屋で立ち読みする】→自分がいかに不十分な能力しか持っていないか思い知らされる。【新築の高層マンションを街で見かける】→住んでいる人は頑張って稼いだのだろう。それに比べて自分は情けない人間だ。【当時デビューしたコブクロのデビューシングル『YELL~エール~ 』が、「頑張る人に勇気を与える歌」と評判になっていた】→私を責めているようにしか聞こえなかった。いずれも、最終的には嘔吐につながった。働くどころの話ではなかった。
{生活費をどうしていたか、気になる方もいるだろう。当時の私には、定期貯金と遺産的な金銭があり、ある程度まとまった金があった。それを少しずつ崩して使っていた}

8月くらいになって、体調は安定してきていた。普通に食事も摂れるようになった。ただ仕事については、意欲より恐怖が勝った。求人情報を見ても、「自分には務まらないのではないか」という不安が頭をもたげる。たまに就職試験を受けにいくと、筆記試験は通っても面接で落とされた。会話の中で、言葉に詰まってしまう場面があるのだ。
いつだったかIB○系の会社の試験を受けた後、合否通知を電話で受けた。その時相手から、「お断りします」と言われたのを覚えている。普通は「採用は見送らせてください」とか「今回はご縁がなかったという事で」と言うので、これは失礼な言い方である。文句の1つをつけてもいいくらいだ。ただ、その時の私はそう言われても仕方ない存在に思え、「はい、わかりました」とだけ答えた。とにかく気が弱かった。何しろN○Kが集金にやってきた時、プレッシャーに押されて素直に払ったくらいだ。

人付き合いは激減した。酒を飲まず、金を使いたくない私にとって飲み会はもってのほか。ごく限られた人間以外、接したくなかった。心配してくれる友人もいた。時々食事をおごってくれたり、「仕事を紹介するよ」という人もいた。だが、私は断った。紹介してくれた仕事を途中で投げ出したら友人に悪いと思ったし、再び失敗するのが怖かったのだ。今度失敗したら、もうおしまいだ。そう考えると全てが硬直してしまった。もちろん、そういう人達ばかりではなかった。「甘えるのもいい加減にしろ。大人は辛い思いをしながら、働いているんだ」と怒鳴るサラリーマンがいたし、「お前なんか一生ひきこもっていればいいんだ」と罵る大学院生もいた。

その頃の私は、暇さえ有ればPCの前に座っていた。1番やっていたのはNapsterWinMXを使ったファイル交換。特別何か欲しかったわけではない。ただ、それをやり続ける事が自分の存在意義のように感じていた。誰かに必要とされたり、認められる事が嬉しかった。人と接する事を恐れつつも、そういったものを私は渇望していた。
今でも『リネージュ』などのMMORPG、SNS(特にmixi)の中毒になった人の話を聞くが、ハマる理由はネットの先に他のユーザーがいるからだろう。1人でネットを楽しんでいても、自ずと限界がある。贅沢できるような立場ではなかったが、PCを動かしていたので毎月の電気代は結構かかった。そして、また1年が終わった。

2002

相変わらずの日々に変化が訪れたのは、独り暮らしを始めて1年が経つ頃だったと思う。それからの半年間で、色々な事が起きた。列挙していくと

・家族内で揉め事が起き、崩壊する可能性があった。それぞれの話を聞いて、調整するのが私の役目となった(家族で私だけが暇だった)。どうにか危機は回避したものの、「実家で暮らす事はもうないな」と感じた。
・祖父が亡くなった。偏屈でプライドが高かったので、生前はなるべく関わらないようにしていた。だが、私の仕事を気にかけて亡くなった事を申し訳なく感じた。
・大切な女友達が失恋して落ち込んでいたが、何ら役に立つ言葉をかけられなかった。遠方に住む彼女の傍に行きたいと思った。しかし、その交通費すらなかった。
・ファイル交換ソフトで使っていたHDが壊れ、データが全て消えた。
・金がほとんどなくなった。

最も大きな理由は、生活資金が底を突いた事。しかしそれ以外の出来事も、私を動かす原動力になった。詳細は省くが、本当によく泣いた時期だった。自分がそれほど泣く人間だとは、思いもしなかった。そしてたくさんの涙を流した挙げ句、「いつまでもこんな事をしていられない。とにかく働くしかない」という気持ちが固まった。腹が痛くなろうが、吐き気がしようがやるしかない。そう思って求人情報を調べていると、友人から1本の電話が。仕事の紹介だった。私は初めて話に乗る事にした。翌日会社に面接に赴き、すぐに採用が決まった。そして、数日後には働き出していた。それが10月の事だ。
仕事は最初辛かった。何しろ人と接しない生活を送ってきた。通勤電車に乗る事も、他の社員と話す事もストレス。初めて自分の机の電話が鳴った時、怖くて3コールくらい固まってしまった。初日を終えた後で人事担当者と顔を合わせ、「仕事はどうですか」「う~ん、まぁどうにか」といった言葉を交わした。後になって聞いた話だが、「本当に暗い顔をしていたので、すぐにでも辞めるんじゃないか」と思ったらしい。私自身も大いに不安だった。しかし1ヶ月2ヶ月と過ぎ、3ヶ月経った頃には落ち着いて仕事をこなせるようになった。その事に心の底から安堵した。

社会復帰をした私について、「一時期おかしかったけど、また元に戻ったな」と多くの人に言われた。しかしそれを聞いて、私は違和感を覚えた。確かにおかしかったのは事実だ。しかし、「元に戻った」とはいつの自分を指しているのか。そんなものはどこにもありはしない。もうとうになくなっている。働けない時、それまでの人生についてしょっちゅう考えた。いい事も悪い事もあった。ただその先に今の自分があると考えると、全てがマイナスに感じられた。否定しなくてはいけないと思った。粉々に打ち砕きたかった。…そんな過去のどこに、戻れる自分があるというのか。

-------------------------
2006

それから3年以上経った今は、もっと落ち着いて昔を振り返る事ができる。この記事に書いた2年半の事も、それより前に過ごした日々の事も。それでも目線は随分変わったと感じる。失ったものは色々とある。それらはもう、取り戻す事はできないだろう。
それでも、今はこうして生活する事ができている。「どん底で過ごしたあの頃には帰りたくない」その思いがある限り、きっと前に進んでいけるはず。そう信じて、毎日を生きている。

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■コメント
せり - 2006/01/17 13:43
人生。。波乱万丈ですね。。番組にできそうです。同じ大学の人や、会社の人事とかは「これから30年、40年続けていく一生の仕事を決める大事な一年」といいますが、留学先では今までの仕事をやめて台湾で再スタートをきった人がとても多いです。そういうのをみてると本当に、人生は就職が全てじゃなくて、どこまでも、どこまでも、続いていく先の見えないものなんだなぁ。と感じます。あたしもこれから、どんな苦難が待ち受けているのやら。。

★番組に出来そうですか(笑)いやー、どうでしょうね。番組の種類にもよるでしょうが、もっと色々な経験をしている人はいますから。 「天職」という言葉があるように、一生の仕事を見つけられるに越した事はないでしょう。ただ、転職する人も多い時代ですからね。岐路に立った時にその都度真剣に考えればいいんじゃないか、と思いもします。 せりさんの仕事選びがうまくいく事をお祈りします。

どこかの部長 - 2006/01/17 16:41
記事に対するこのコメントが適切であるかどうか迷いましたが、 非常に面白かったです。 他にも言いたいことはあるんですけど、とりあえずそれだけは言いたかったので。 何にしても、長文お疲れ様です。

★どうも、はじめまして。書き込んで下さり、ありがとうございます。 そういうコメントで別に構わないですよ。どう感じられるかは読み手次第ですし、「つまらない」と言われるよりは遙かにマシですから。もしよろしければ、言いたい事がある他の事も書き込んで下さい。

15-いちご- - 2006/01/17 20:30
コメントを見て、すっ飛んできました。なんだか、ねだってしまったみたいで申し訳ないような・・・でも読みたかったものが読めて、とても嬉しいです。 不思議な気分です。私が大学2年の頃、ガチャピンさんはこんな大変な経験をしていたんですね。同じ時を、こんなにも違う環境で暮らしていた人と今こうして交流があるという事が、不思議です。とても。 私の中の勝手なガチャピンさん像は、精神的に強くて曲がったことが嫌いで、努力を怠らない自律の人。なのでかなり意外でした。でも、何となく、腑に落ちる感じもします。(意味不明ですね・・)失ったものは取り戻せないけれど、きっと、得たものもあるのかな・・・なんて思いました。こんな経験をしたことのない甘ちゃんの感想ですが。

★コメントくださり、ありがとうございます。喜んでいただけたのなら、書いた甲斐がありました。 記事を書いた動機の1つに、「私に対する評価への戸惑い」がありました。記事について褒めていただけるのはありがたいんですが、書いている人間は別に立派ではないので。たまに高評価されると、裏切っていているようで申し訳ないな、と感じていました。ほとんどの方とはブログの付き合いだけですが、変にカッコはつけたくなかったんです。 得たものは…そうですね、あるかもしれません。心の調子が悪くなって体を壊した友人がいたのですが、彼をサポートする時に自分の経験は役に立ちました。

OL桜 - 2006/01/17 20:55
こんばんは。長文でしたが、先を急ぐように読みきってしまいました。ガチャピンさんの過去、意外でした。 引きこもりはともかく、ニートに関しては、甘えという見方が強かった私ですが、それぞれの事情や環境の下、そういう生き方をしている場合もあるんですね。偏見はいけないと思いました。色んな過去を経て、今を一所懸命生きているんですね。私も思います!”あの頃に戻りたくない”と思う限り、大丈夫だと!そんな前向きなガチャピンさんが好きです♪

★意外な過去でしたか。まぁこういった経験が他の記事に反映しているわけではないので、そう感じるのも当然かと思います。 引きこもりにせよニートにせよ、理由は色々あると思うんです。だから、単純に「○○が悪い」と決めつけるのはまずいでしょうね。けれど、私自身を正当化する気はないんです。もっと早く立ち直れたんじゃないかと思いますし。{だから認識としては「働けない男」ではなく「働かない男」なんです。} おっしゃる通り、前向きに生きていきたいですね。

あん - 2006/01/18 1:26
こんばんは。初のコメント投稿です。読み入ってしまいました。 苦しんでいたんですね。ガチャピンさんに対して、いつも自分を持っていて、迷わず突き進んでいるイメージを持っていただけに正直、驚きました。 失ったものを取り戻すのではなく、新しいことを取り込む力が今のガチャピンさんにはあると思います。 奥深いお話、ありがとうございました。

★こんばんは。コメントを書いてくれて、どうもありがとう。考えてみれば、この頃の事は全然話してなかったね。だったら驚くのも無理はないかもしれないな。今は元気にしているので大丈夫だよ。 あんの言う通り、新しいことを取り込んでいけるよう努力したいね。

エリ - 2006/01/18 9:22
ガチャピンさんもいろいろあったんですね。いつも冷静な印象を持っていたので、ちょっと意外な感じがしました。これはワタシが良く読んでいるコラムに書いてあったお気に入りの言葉です。 「暗がりから抜け出す努力をしていくのは生きる上での本筋だ。苦しんだ分だけ、悩んだ分だけ自分が成長出来ることを信じて、一度だけの人生を有意義にしていきたい。」

★そうですね…私なりに色々あったんでしょう。文章から受ける印象ほど、実際は冷静な人間でもないんです。エリさんが引用されたコラムの言葉には、考えさせられます。できれば本筋を歩いていきたいですね。

サキちゃん - 2006/01/18 13:06
ガチャピンさん こんにちは 記事、読みました。 何てコメントを書いていいのか言葉を選んでいる自分がイヤになります。でも生きてる中で、切ない、苦しい、悲しい、逃げ出したい事って、何度となく来るけど、苦しんでもがいて、先に進む道を見つけて、過去を振り返れる成長ができるんだと私も思います。 私も、子供を産んでからの2年間は辛かったから・・・。(ものすごく最近ですね(笑))その2年間は、子供に対して申し訳なかった気持ちで一杯です。 その時その時 決断を出すのは自分であるから、その決断が後で間違った方向だったとしても、自分で決めた事だから、後悔をしないように生きていこうと、私は思ってます。後悔をするなら、解決の道を探そう!!って。

★確かに過去を振り返る事ができる、というのは1つの成長なのかもしれませんね。サキちゃんは子供を産んでからの 2年間ですか…。色々と大変な事があったんでしょうね。おっしゃる通り、後悔をしないように生きていきたいです。

Ray - 2006/01/18 15:56
何か自分の21~2の時と状況が似てます。自分の場合は就職より前に、学校が途中で止まったので、職なし、学歴なし、経験なし、の三無し状態でしたね。^^; あ、肺炎こじらせて、さらにうつ病発症して健康も駄目でしたね。^^; 留学→挫折→駄目人間 という典型的な失敗パターン送っていたので、ガチャピンさんと同じように、「ニート、引きこもり系」のニュース見ると複雑な気分になりますね。 結構紙一重だった人って多いんでしょうね。。。 「あの頃には帰りたくない」、まさにその通りですね。 今は、友人がいる、目標がある、そして前進してる、と、当時とは似ても似つかない暮らしですし。 卒業が25歳になって、いち早く社会に出た連中にはちょっと差をつけられましたが、何とか頑張るつもりです。 まぁ三年前は自分が25になる頃には生存してないと思っていたので、自分は運がよかったのか何なのか。。月並みですが、ガチャピンさんが積んだ苦労、苦しんだ時間が今後の人生において大きな力、経験となっていくことを祈るまでです。^^

★これまでのやり取りから、Rayさんの過去に「何か」があった事は知っていましたが、そういう事でしたか…。かなり厳しい期間を過ごされたんですね。恐らく死を身近に感じた事もあったでしょう。私が言うのも変かもしれませんが、よく生き延びてくれましたね。 おっしゃる通り、そういう期間を過ごしたという経験を、何かの力に換えていけたらいいと思います。

Cass - 2006/01/18 21:11
私は自由業者なので、お仕事先との関係でちょっとボタンを掛け違うと、今でも結構簡単に「ニート状態」に陥ってしまいます。一昨年に契約していた仕事先と揉めて契約が履行中断(解消じゃないけど仕事はくれない)という状態になっているので、昨年・今年と割とフリーター的な生活をしていました。まあ、おかげでブログやる暇があった訳ですが・・・ 会社を辞めて自由業になってから、「多少仕事がトラブっても命までは取られまい」と居直れるまでは精神的に相当きつかったのですが、この頃では運命論者になっております。自分を必要とする仕事は放っておいても必ずやる羽目になるんだから、あまり気を揉まない、という丸投げ的なポリシーで生きてます。まあ、いい加減と言えばそうなんだけど。 世の中に対処する際の自分のスタンスみたいなものが決まるまで(野球で言えば「自分のミートポイント」が分かるまで)は、「ニートになる可能性」は誰にでもあるんじゃないでしょうか。世間がすごく怖かった頃は私にもあります。当時のことを思い出すと、今でも胃液が逆流しそうな感じがしますね。(^^;)

★なるほど、自由業だと確かに仕事がなくなってしまうリスクはありますね。自由であるがゆえに、責任もまた重い、と。今まで随分タフな状況を乗り越えてこられたのでしょうね。 「自分のミートポイント」というのは、いかにも Cass969さんらしいと思いますが、おっしゃる通りかもしれません。それがわかるまでは、ひたすらバットを振ったり、ボールに当てていくほかない。そういう経験は誰もがするんでしょうね。私は以前に比べて、まともな打撃が出来るようになった気がします。

なー姫 - 2006/01/19 16:57
お久し振りです。大変な数年だったのですね。私も派遣社員の時期が長かったので、満了になり仕事がなくなると、次の仕事が見付かるまでは家で仕事探しをしていて、それがうまくいかず1-2ヶ月家にいっぱなし、という時期もありました。それはガチャピンさんのように生活費の蓄えがなかった為ですが。 やっぱり家にいると、色々考える為、夜通し起きてますね。そして朝方、近所のお寺の鐘の音、朝刊を配るバイクの音、みんながドアを開けて出勤する音などを耳にし、TVでは朝早くから働く人が映し出され。。それに引き換え私は何をやっているのかなぁ、と思っていました。 私の場合は十分な蓄えがないので、働かなくてはいけないっていうのもあったので(都内でひとり暮らしでしたし、親も働けとうるさかったので)長くても2ヶ月くらいで終わりましたが、やっぱりツライものでした。 ニート・引き篭もり、といってもどこからどこまでを対象とするか分かりませんが、『社会復帰しよう』 『外に出よう』 と思っても、なかなか難しいのも事実ですよねぇ。。 でも今ある仕事を大事にしよう、と思うのは事実です。もちろん人生仕事が一番ではないですが、大事なことには変わりないですしね。

★ご無沙汰しています。やっぱり仕事のない状態で一人暮らしをしていると、夜中に起きている事が多いみたいですね。出勤の時間に縛られていない分、生活時間は乱れがちだと思います。 生活費の蓄えがあった事は、私の生活に大きく影響しています。なければ、また別の展開になっていた事でしょう。なー姫さんのように1-2ヶ月で働きに出ざるを得なかったかもしれません。そういう点では甘えていたと思いますし、非難されても仕方ない事だとは感じています。もし不愉快に感じられたのなら、すみません。 人によって仕事への熱意や人生の優先順位は変わってくると思いますが、少なくとも食うに困らない程度にはしっかりとやっていきたいです。おっしゃる通り、大事な事ですから。


なー姫 - 2006/01/20 17:19
不愉快なんて、そんなそんな。思いもしませんでしたよー。むしろちょっと羨ましい、というか。。 でもあったからイイ、とも言い切れませんよね。おっしゃる通り、私のように無ければ無いでまた別の展開になっていたでしょうし。遅かれ早かれではあるでしょう。 どちらにしても、ブランクは少ないに越したことはない。間を空けるとズルズルいっちゃうし、傍からも 『なんでそんなにブランクが?』 と思われる。 いまブランクが空いている状態の人も、勇気を出して何でもイイから始めてもらいたいです。

★気遣わせてしまってすみません。生活資金があった事については、当時色々言われたものでして。怒る人もいましたし、「羨ましい」と言う人もいました。それに対して何も言えなかったので、未だに負い目として感じている部分があるんです。 当人に「勇気を出す」事を求めるのは自然な事だと思いますが、その為には周りの環境が重要と考えます。誰かに認められる事、褒められる事、失敗したとしてもサポートしてもらえるという安心感。そうしたものを心底求めている気がします。「甘えるな」とただ突き放すだけでは、何の解決にもならないでしょうね。私が誰かを助ける時は、そういった事を心がけています。

chiakiichi - 2006/01/20 22:27
こちらでコメントをするのはお久しぶりになりましたが・・・、驚きました!!実はガチャピンさんとは一体どういう方なのか?と常日頃思っていまして、謎が少し解けた気がします。(失礼かな?でも本当にそう思ってましたので(^^ゞ)ご自分のことを書くのが苦手とおっしゃっていましたよね。よくここまで書かれました。大変な時期を通り越してこられたとは露知らず。すべて読ませて頂きましたよ。私は歯医者で以前働いていまして、院長と上手くいかずに結果的にやめざるを得ない状況に追い込まれて、余儀なく3ヶ月仕事をしていなかった時期があります。期間は短いですが、精神的にも大変な思いをしまして、この記事を読ませていただいてダブる部分も多かったです。「元には戻りたくない」同感です。今はすっかり前向きになった自分が好きですけど、あの頃の自分は嫌いです。でも、あの頃の自分があるから今もある、そう思ってます。過去を否定するだけでは辛すぎますので。前へ進んでいきましょう。

★どうも、確かにコメントはちょっと久しぶりになりますね。これからも引き続きよろしくお願いします。 私がどういう人か、ですか。いや、別に失礼な事ではないですよ。むしろ興味を持っていただけて幸いです。この記事を読んで、何かわかったでしょうか?私としてはchiakiichiさんには過大評価していただいていた気がするで、幻滅されるんじゃないかとは思ってました。 歯医者で働かれていた事は以前記事を読んで知っていましたけど、そういう事があったんですか…。色々と大変でしたね。「前向きになった自分が好きです」と言えるようになった事は素敵だと思います。私の場合はそう言い切るだけの自信は、正直言ってありません。今のところは。

eryce - 2006/01/29 19:02
自分ではまだまだふりかえるほどの人生を重ねて来ているとは思えないながらも重ねて来ている時間は誰もがそれぞれに抱えているものですね。

ニートという表現は近年のもので 確かに一つの社会現象の現れだとは思いますが心と身体が抱えているものはそれぞれに違うのだから…それを社会現象としてひとつに括るのには抵抗があります。私にも封印というか…見ない、ふれない様にしている時間、問題、トラウマ、欠点、後悔…があり、正直未だむきあえていません。あなたの文章の中にある 確固たる決意というか強さを感じました。

逃げていても問題は解決しないけれど…ふれないコトで 今を生きる…というのもスベなんですよね。転職の失敗、失恋、浪人生活、家族の病気、再就職、超多忙の生活、ひとり暮らし、家族の死独立…。今は忙しさに身をおくことで 自分の陰に触れない様に生活するのがせいいっぱいな今の自分。そんなコトに気付かされました。

どんな過酷な仕事でも 仕事にはかならず終わりがある。だから…少しでも後悔しない様にその終わりを迎えられる様に仕事に取組める。人生のおわりがいつかはわからいのに…ソコにむかって向き合えないのは 自分の弱さなんでしょうね。

いつか…笑って振り返られる様になりたいですね。

★おっしゃる通り、人はそれぞれ色々なものを抱えて生きていると思います。私自身がこういう内容について書こうと思ったのはちょっとしたきっかけからで、それも大きな意味はないです。せいぜい備忘録というところでしょうか。時間が経てば忘れていくでしょうが、何もかも忘れてしまうのは惜しい気もしたので…。

でもおっしゃる通り、過去に触れない事で今を生きるというのは、1つの術だと思います。何もかも覚えて生きるのは、正直辛いですからね。eriesさんも振り返りたい時があったら、その時考えればいいんじゃないでしょうか。足が進んでいるうちは前だけ見ていてもいいと思います。

今回私が内容を残すのに文章という形を取ったのは、良かった気がします。思い出す時はキツかったですが、文章を組み立てる時は割と落ち着いていられたので。仮にこの記事の内容を人に話したとしたら、その最中に感情が高ぶる事は避けられないでしょう。とはいっても、全てを冷静に考えられるわけではないですけどね…。

☆Alice☆ - 2006/02/02 11:23
こんにちは♪残寒厳しき折、如何お過ごしですか?
私はポッケにホッカイロ、背中に貼るホッカイロで、何とか乗り切れそうです(笑)こんなにホッカイロと仲良くしているのは、何年も前に行ったスキー旅行以来でしょうか…うぅ年寄り臭い(>_<)

ご連絡頂きましたこの記事…
仕事中ではありましたが、ジックリと読ませて頂きました。正直、私の中にあったガチャピンさん像には当てはまらない内容に、最初は戸惑いも覚えました。しかし、このような経験があったからこそ、様々な角度からモノを見られる目をお持ちになったのかな?等と思いました。
先日テレビで【下流クン】なるものが紹介されていましたね。年収が年齢×10以下だと【下流】なんだそぅです。個人的には、まるっきり第三者的視点で言わせて貰うと『本人が満足していれば良いんじゃなぃの?まぁ、親は心配するだろぅけど…。』と思ったりもするわけですが…。ただ上と下(今回はこの言い方にします。)の差が、収入だけでなく、意識も含めて大きくなっている気がしました。私はお金自体には何も卑しいイメージがないので、お金稼いで楽しく過ごせたほぅが良い!と思うタィプの人間ですね(笑)…と少々脱線しましたが
私も引きこもりがちの人間…と言いますか、引きこもってた人間(友人には“明るい引きこもり”等と言われ(笑))なので、何となくガチャピンさんの仰りたい事も解る気がしました。私もあの頃には戻りたくないですし、あの時期に失ったモノは未来への可能性も含め、沢山あったと思っています。今はトニカク、少しでもあの頃の時間を取り戻す…と言うか、あの頃の自分から全力疾走して成長したい気持ちでいっぱいです。今から取り戻せるものは、何でもプラスαをくっつけて取り戻したいと思います。

★コメントありがとうございます。たぶん、Aliceさんが思い浮か
べるガチャピン像は実際の私より過大評価されていると思うんです。
けど、実際はこういう経験を経て生きてきた男でして。幻滅させて
しまったら、申し訳ないです。

> このような経験があったからこそ、様々な角度からモノを見ら
> れる目をお持ちになったのかな?等と思いました。
確かにそういう面はあると思います。具体的に何がどうとは言え
ませんが、経験する前と後では違いますね。あの頃に戻りたく
ないという気持ちが、私の原動力の1つです。Aliceさんもそう
いう思いはあるようですね。前向きに生きていってください。
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東京のIT系企業に勤める男。1977年生まれ。趣味は読書、スポーツ観戦、トレーニング、ブログ、映画鑑賞。

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