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小島敦夫【ペリー提督 海洋人の肖像】

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小島敦夫【ペリー提督 海洋人の肖像】 新書:224ページ 価格:720円
 出版社:講談社 初版:2005年12月17日

  評価:80点

内容説明
なぜペリーは本国アメリカで忘れ去られたか。日本の鎖国の扉をこじ開けた男の知られざる人間像。アメリカ取材により浮き上がった男の「光と影」は、大国家化する母国の苦悩を如実に映す。海洋人の一生を活写。

日本の歴史においてペリーはかなりの有名人といってよい。江戸幕府に開国を迫った男。しかし、彼個人について詳しくは知らず、それだけに興味深い内容だった。目を引いたことを列挙していく。

幕末に黒船4隻と共に来日したペリーが威嚇的な行動を取った理由。それは事前に日本の社会や歴史について研究した結果「狡猾で排他的な幕府を交渉の席に引きずりだすには、社会に混乱を起こす必要がある」と判断したから。狙いは当たった。

当初の計画では、ペリーと共に日本に行く船は12隻だった。米国政府の強力な支援も予定されていた。しかし準備段階で政権交代が起こり、一転計画実施は困難に。最終的に落ち着いたのが4隻。米国東岸を出発し大西洋、香港経由で浦賀に辿りつくまで約7ヶ月。この時ペリーは59歳。

日本では知名度の高いペリーだが、米国での知名度は非常に低い(せいぜい地元で知られているくらい)。その一方、彼の兄オリバーは米英戦争の活躍で教科書に名前が載っており、米国海軍史における有名人らしい。

ペリーの業績が米国であまり評価されなかった理由。当時英国のアヘン戦争に見られるような帝国主義に批判が高まり、ペリーの手法も砲艦外交と見る声があった。また、国内で南北対立が激しくなっていて、国外への関心が薄かった。ペリーの帰国は1855年、南北戦争は1861年から。

ペリーに先見の明があったことを感じる発言が2つある。1つは、今後太平洋の覇権争いで脅威となるのは西欧諸国ではなく、ロシアだと見ていたこと。また、その文化に触れたことで「日本が機械分野でいずれ強力な競争相手となるだろう」と予見していたこと。 (読了日:2011年9月4日)

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