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【日本トルコ友好史】の裏側

あなたは人目のお客様です。

半年前に記した日本トルコ友好史という記事は、私にとって2つの意味で思い出深い。1つは、とても気に入った内容である事。その理由は、恐らく読んでいただければわかると思う。最近では割と知られているので、どこかで聞いた事のある人もいるかもしれない。もう1つは、情報を手に入れるのに苦労した事。情報の書かれたサイトは色々あったが、いい加減なところが多かったのだ。どうにか集めた情報で記事を書き上げたものの、その後も疑問は残っていた。追加調査を行ったので、補足記事としてここにアップしたい。(前回の記事については訂正していないので注意)。

なお、問い合わせに対し迅速かつ丁寧に対応してくださった在日トルコ大使館、そして日本児童文学者協会理事長の木暮正夫氏には、この場を借りて深く御礼を申し上げる。

◇エルトゥールル号遭難事件

・なぜ事故は起きたのか

台風に巻き込まれたエルトゥールル号だったが、そこに至るまでには幾つかの問題がある。まずこの船が、木造の老朽艦であった事。トルコを出発して日本に着くまでにかなり時間がかかっていて、「辿り着いた事自体が奇跡」と見る向きもあった。物資や資金も潤沢とは言えなかったらしい。3ヶ月滞在した後に出航するにあたり、日本側は「この時期は台風が来るから止めた方がいい」と勧めたが、船側は断っている。その理由については「横浜でコレラが流行していて乗組員に死者が出ており、早く抜け出したかった」「台風を恐れているようでは、オスマン帝国海軍が舐められる=(インド・東南アジアのムスリムに、イスラム教の盟主であるオスマン帝国の国力を誇示したい)」といった事情があったらしい。
しかし事件が起きた紀州灘は、海難事故の名所。その4年前の1886(明治19)年10月24日に起きたノルマントン号事件も、この地域で台風に遭った為であった。結果として、エルトゥールル号側の判断は間違っていた、と言える。

◇山田寅次郎、奔走す

・山田がトルコに滞在していた期間
彼がトルコに初めて訪れたのは1892(明治25)年4月{1894年の説もある}で、日本に引き揚げたのは1914(大正4)年。しかしこの間に時々日本に戻ってきた為に、滞在日数は延べ18年ほどだったと思われる。

・スパイとしての山田
彼はトルコでは教師であり実業家でもあったが、その他に別の顔もあった。日本政府のスパイである。といっても、相手はトルコではなく隣国のロシアだった。1905(明治38)年に起きた日露戦争では、「ロシア黒海艦隊所属の艦艇3隻が商船に偽装し、ボスポラス海峡を通過した」との情報がイスタンブールの山田より流され、海戦において重要な役割を果たした。トルコは「ロシアからの圧力を感じている」という点で日本に親近感を抱いていた為、「戦争勝利」のニュースを聞いて大いに国が沸いた。バルチック艦隊を破った東郷平八郎から名前を取り、トーゴーと子供に名付ける人もいたという。当時トルコと日本の間には国交はなかったが、山田の動きを政府は黙認していた。ロシアの弱体化は、トルコにとってプラスだったからだ。

・なぜ日本と国交が結ばれなかったのか
両国は交渉のテーブルについたものの、結局山田がいる間に国交が結ばれる事はなかった。理由としては「日本がトルコに治外法権を認めるように要求したが、既に列強の治外法権に悩まされていたトルコがそれを断った」という説が挙げられる。「オスマン帝国は大国だった為にプライド高く、話に応じなかった」という話もあるが、それは日本側の視点と思われる。他ならぬ日本自身が、列強の治外法権による問題を経験していたのだが。

・トルコにおける山田の知名度
一言でいって、非常に低い。ごく一部の人間を除いて、ほとんど知られていない。ただし、イスタンブール出身の老人の中には、寅次郎がイスティクラール通り辺りに出した日本の玩具屋(現在はない)のことを覚えている人もいる。しかし、それが山田の店だったという事や、山田が何者かということは知られていない。100年以上経てば、そんなものである。更に詳しく知りたい方は、東洋大学社会学部社会文化システム学科の三沢伸生助教授に尋ねるといいだろう。また山田に関しては以下のような書籍も出ている。
 ・「近代トルコ見聞録」長場紘 著 慶應義塾大学出版会(2000年)定価2100円
 ・雑誌「上州風」14号 上毛新聞社出版局 誌代800円
  バックナンバーの販売に関しては:
  (電話:027-254-9966、〒371-8666 前橋市古市町1-5-21)

◇舞い降りた翼

最も情報入手に困ったのが、この項目である。「ネットや書籍に記された情報の多くが具体性と信憑性に欠ける」といっても、過言ではない。考えて読んだり文章を書いていれば、その事にすぐ気づくはずだ。だが、間違えてしまうのも(ある意味)無理はない。なぜなら事件が起きた当時の新聞報道は憶測で書かれた部分が多く、それらの情報を元にして色々な話が書かれたからである。
頼りになる情報は1つしかなかった。NHKで放送されている『プロジェクトX』である。第135回『撃墜予告 テヘラン発 最終フライトに急げ』で取り上げたテーマ。私はプロジェクトX制作班に協力を求めたが、あっさりと無視された。仕方がないので、この本を参考にした。
 ・「プロジェクトX 挑戦者たち 22.希望の絆をつなげ」
   NHKプロジェクトX制作班編 NHK出版(2004年)定価1,785円
この件について、ポイントはタイムテーブルにある。以下順を追って記していこう。
1985(昭和60)年 3月 (時間表記は全てイラン時間。時差はイラン:日本-7h)

11日
テヘランがイラク軍によって初めて爆撃される。市内で夜間の灯火管制が始まる。
14日
2度目の爆撃。狙われたのは市の北部で、在留日本人が住んでいた。幾つかの日本企業が、郊外への避難を開始。
15日
3度目の爆撃。
16日
日本人会は「やむをえない事情の人間を除き、全ての日本人の出国」を決定。しかし 政情不安から運行を休止している航空会社もあり、また自国民優先の為にチケットはなかなか手に入らない。日本大使館の野村豊大使、外務省に特別便の派遣を要請。
17日
イラク政府が「今から48時間後の3月19日20時30分以降、イランの領空を飛ぶ飛行機は、国籍・軍用機・民間機問わず、全て撃墜する」と発表。この発表を受けて、定期便だけでなく臨時便・特別便を休止する航空会社が続出。
 ○空路以外に検討された脱出方法
陸路…隣国までの距離は800km。20時間かかる。また、1980年イラン・イラク戦争が勃発した折、陸路で山賊から銃撃を受けた日本人がいた。治安を考慮すると危険。
海路…北上してカスピ海を渡ってソ連入り、という案。しかし湖にはよく霧が発生する時期で、船の運航に不安があった。
 結果、空路しか残されていなかったのである。
18日昼
・日本では外務省と日本航空の協議が難航。日航側の希望は「イラン・イラクが攻撃をしない、という安全保障があるのなら飛ぶ」。野村はただちにイラン側と掛け合い、了承を得る。しかし、強硬派のイラクからは貰えなかった。
・日本大使館は各国の大使館に頼み込み、チケットを譲ってくれるよう頼む。だが、それで得られたのはわずかだった。200枚以上足りない。
・野村は親友であるイラン駐在のトルコ大使、イスメット・ビルセルに頼む。当時多くのトルコ人がチケットを得られない状態だったが、ビルセルは本国へ電報を打つ。「大至急、日  本人の為にトルコ航空の特別便を用意して欲しい」
・その頃、テヘラン駐在員を持つ日本の商社やメーカーは、対策に追われていた。イスタンブールにいた伊藤忠商事の森永尭(たかし)は東京本社から連絡を受ける。「オザル首相に頼んで、トルコ航空に救援機を出してもらうんだ」森永は、10年来の付き合いであるオザルに電話をかける。説明を聞いたオザルは、長い沈黙の末に「わかった。心配するな、親友」と答えた。こうして特別便の派遣が決定した(元々19日にはトルコ航空が1便飛ぶ予定だったので、合わせて2機になった)
18日夜
日本人の乗る飛行機は確保できたが、新たな問題が発生。連絡の取れない在留邦人が 多数いた。企業の指示で避難していた人間は居場所がわかったものの、自主的に友人・ 知人宅に移っていた者はサッパリわからない。また爆撃の為に、通信事情が最悪。イラ クの戦闘機が飛来する為、外の移動は危険だった。しかし、「このままでは間に合わない」 と、大使館員は夜の街へと飛び出した。深夜まで駆けずり回り、170人と連絡を取った。翌日も手分けして、最終的に215人が乗る手続きを取った。
19日
8:30 残り12時間

トルコから飛び立とうとした2機に、待機命令が出る。イランから運行許可が出ないのだ。情報を知った野村はイラン外務省へ駆け込み、頼みこむ。またビルセル大使も交渉し、ようやく許可を得る。
10:00 残り10時間30分
トルコから飛行機が離陸。イラクから攻撃される危険を避ける為に北へ大きく迂回し、カスピ海を南下。そしてイラン領空へ。管制官から「ジグザグに飛ぶように」指示される。イランの 軍用機でない事を証明する為に、従うほかなかった。
15:00 残り5時間30分
飛行機はテヘランのメヘラバード国際空港に到着。すぐに燃料の補給を開始。そして、乗客の搭乗も開始。日本人の顔には緊張が走り、誰もが急いで乗り込んだ。
17:10 残り3時間20分
まず特別便(日本人:198人)がテヘランを出発。続いて2機目(日本人:17人+トルコ人)が 19:50に離陸。
18:30 残り2時間
特別便はトルコ領空に入った。乗客は歓声を上げ、客室乗務員の中にも涙を流す者がいた。
20:40
特別便はイスタンブールのアタテュルク空港に到着。2便も22:20に無事着いた。乗客は休息を取った後、別の飛行機で日本に向かった。

それから14年後の1999(平成11)年8月17日、トルコ大地震が発生。死者1万5千人を超える惨事となった。この時義捐金や救援物資を率先して集めたのが、あの飛行機で救出された日本人達だった。その事を知った特別機のパイロット、アリ・オズデミル氏の言葉。「われわれトルコ人は、日本人が好きです。頼まれれば喜んでもう1度この任務を遂行しようと、仲間のパイロットと決めています」

…これらの内容は、NHK『プロジェクトX』で2004年1月27日に放送された。当時来日していたトルコ首相エルドアンは番組に強い興味を示し、「トルコ国民に向けて放映したい」と希望。そして実際、数ヵ月後に放映された。すると、国内から大反響。初めて知った、というトルコ人がほとんどだった。「やったぞ、トルコ航空」「政府の判断も良かった」「他のヨーロッパの国が冷たい中で、日本人を見捨てなかったトルコを誇りに思う」「地震の時に助けに来てくれてありがとう、日本人」といった声が多かったらしい。

・トルコ人はエルトゥールル号の事を覚えていたから、イランの日本を助けたのか
一般的にそう信じられているが、残念ながら事実とは違うようだ。もともとその説は、元駐日大使のネジアティ・ウトカン氏が新聞の取材にそう答えた為に広まった。しかしプロジェクトX制作班がテヘラン脱出に関わった人間に尋ねたところ、誰も知らなかった。「教科書に載っていて、子供でも知っている」というのも怪しい。トルコ大使館でも以前調べた事があるそうだが、そういった記載のある教科書は確認できなかった。従って、「知っているトルコ人はいてもごく一部に限られる」か、「ウトカン氏のリップサービスだった」と思われる。しかし知っていてもいなくても、助け合う事が素晴らしい事に変わりはない。最近航空事故のニュースをよく耳にするが、このように命を懸けて飛んだ人達がいる事も忘れてはいけないだろう。

追加報告は以上。前の記事を含め全て読まれた方は、ご苦労様でした。
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■コメント
Ray
- 2005/08/23 23:50
興味深く読ませていただきました。^^ 確かにトルコ人の留学生と話した時、彼は親日的でしたが、エルトゥールル号に関しては「そんなんあったな・・」くらいの反応で、むしろ日露戦争の話題が多かったですね。 「白人に勝った有色人種」というイメージはスゴくインパクトのあった出来事だったのでしょう・・。意外と知られていませんが、インドとかでは日本軍が当時イギリス領のシンガポール陥落させた日とか、結構有名みたいです。 色んな歴史の側面がありますが、中東系の人達にとって、親日的というより、日本には特に恨む理由がないのが大きいみたいですね・・。 確かに歴史的に一度も直接の衝突はないですから・・。 ガチャピンさんの言うとおり、非常時に助け合える精神は大切にするべきだと思います。 トルコとギリシャの関係のように、冷え切っていた時、両国の地震にお互いの国が救援部隊を送り合ったことで関係改善に少なからず影響与えたこともあったようですし・・。

★日本に来た外交関係者でエルトゥールル号について知っている人は多いと思いますが、それは「外交上の礼儀」としての知識だと思います。 Rayさんのおっしゃる通り、日露戦争の衝撃はかなり大きかったみたいですね。アジアの端っこの島国が、列強相手に勝ったわけですから。地理的に縁は薄いので、「敵の敵は味方」みたいな感覚でしょうか。裏を返せば、欧州の強国がいかに広い地域で嫌われていたか、という話になりますが…。 困った時に助けてもらえれば、大抵の人は「いい奴だな、コイツ」と相手の事を思います。平常時よりその効果はずっと大きいでしょうね。「困った時こそ真の友」というのは、国レベルでも通じる話なんでしょうね。
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東京のIT系企業に勤める男。1977年生まれ。趣味は読書、スポーツ観戦、トレーニング、ブログ、映画鑑賞。

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